キミの話-第三章 vol,7
毎日そんな生活を送る中、それでも一度は受け取った仕事、と、どのプロフェッショナルともそれなりの会話が出来るように勉強もしたし色々にぬかりはなかった。やるとなったら完璧に近いまでには持っていく、私の社会人生活は無駄ではなかった。これほどに華やかでもなかったし、金も頭上を飛ばなかったが基礎としては確実に、それは良い利益を出した。使える奴、だっただろう。バカにするな、私の男は私よりもめちゃくちゃに出来る、そのプライドだけが私にはあった。
"あいつが生きていたら日本を動かしただろう、あの頭は化け物だった"
亮介の友達の言葉が私の頭にずっと残った。生きていてくれれば。生かしてやりたかった。私が奪ったものは私が私の中で生かしていくしかない。安い女に落ちなかったのは亮介の力もある。彼の貢献は大きかった。
寺田さんにちらりと
「私もしこの仕事辞めることになったら、どうしますか?」
と聞いたら
『いつまでも出来るような仕事じゃないでしょ~。そんな事はちゃんと頭に入れてあるよ』
と言った。
「捨てられる?」
『そういう事じゃないよー。辞めたいって言えばいつでも考えるって事だ。こういう場所ってね、辞めたいって言ってはいそうですか、とはいかないって事よ。でも君は特別。辞めたいって言えばいつでも』
「寺田さんってあれね。紳士よね、いつも」
『そう思ってくれる子は少ないよねぇ~。だからかなぁ、君は可愛い』
「ふふふ。欲しい物がこんなにもないと、人の持ってる良さってものにしか目がいかなくなるのよね。私が見たのは地獄だったから、垂らしてくれる糸は全部、蜘蛛だわ。助けてくれる素晴らしい人たち」
『助けになったんならよかったが』
「ひとつ不満があるとしたら、殺してくれなかった事よ」
『君みたいな女は殺すには惜しいねぇ~』
と寺田さんは笑った。私は生きる価値がない。季節は夏に移ろうとしていた時の事だ。いつのまにか私はひとつ歳を重ねていた。亮介はいなかった。みゆちゃんの次の誕生日は俺一緒だからどうしよっか、もうその頃には働いてるかもしれないし旅行でも行く?そう言ってくれていたのに。ろくでもない世界で追い立てられる内に自分の誕生日なんて忘れたまま夏を迎えた。
色んな人に会った中で、医者という職業が最低だった。世間の人間が素晴らしいと揶揄するような職業を持てば持つほど金は飛び交い、金で買える物を操れる人間たちは最低だった。良家とは。学歴とは。職業とは。しょーーーーもない。
いないと困るとされる人間なんてこの世にいるのだろうか。誰が死んだってこの世は普通に動くし、何にでも代わりがある。誰かの中に代役がない、というだけで、全体からしてみればいなかったところで、だ。人の自信とはなんだろう。私はここにいなければならない人間だ!なんて、お前らよく言ったな、と鼻で笑ってしまう。大した事ねぇじゃねえか。精液垂れ流して、所詮、やる事は皆一緒だ。医者以外。医者は一番神に近い。相手が死にかけるまでやっても奴らは蘇生が出来る。薬剤の持ち出しも自由。最低にして最高の腕と頭を持つ。そのまま殺せばいいのに手を汚すのを嫌がって、ギリギリまでやるくせに絶対に殺さない。ヘタレが。
そうした意味で、知恵が効いて+αがあれば、世は渡れる。銀座で働く方々は最高だ。美しくて賢い。彼女達は最強だ。かっこいい。私のように簡単には寝ないし。
朝から晩まで何人くらい相手にしただろう。ほぼほぼ休みなしで最低でも20人は捌いた。多い時のパーティー役者となると一日に100いく事もある。向こう良家のお望みの通り、生きる価値のない女になった。でも私は永遠に一人だけの物だ。あの人の私。亮介は許さないだろう。いつかあの家を潰す。どちらにしても、私が、許さない。何年先になっても、絶対に。
「私みたいな女に、褒められたって何の価値もないでしょうけど、寺田さんはいい人ですよね、ほんとに」
時間が過ぎる。車の窓からは爽やかな夏を誘う陽気。私の一年は最低だった。あなたのいない世界は私にとっても青いものではありませんでした。一年は短いようで長い。一日の内でも、その瞬間に、時間の溝があるかもしれない。何かを引き離す、それはほんとに、一瞬の事。この世界から手を放しても、何の痛みも感じなかったのに。
寺田さんに頼まれた仕事が飛んだ日。暇が出来て上野に買い物に出た。新宿辺りに近寄ってしまうと客に会ったりして、アレ今日は出勤じゃないの?今日はどこに出勤?となるのが苦痛だった。動きが制限される。適当に時間を潰して帰るつもりだった。
『おい』
「?」
振り返るとマサトがいた。
「!」
逃げたかった。走って逃げようかと思った。ゴールドのバレエシューズを履いていた日。わぁ、なんでいるの。現存する人間の中で一番会いたくない人だった。
「なんで?」
『なんでじゃねぇよw久しぶりじゃん、どうしてたの』
…どう?ど…どうもしてない。
『ここにさ、うまいおでん屋あるから奢ってやるよ。』
………。
『どしたよ~。なんか辛いことでもあったか?お兄ちゃんに話してみ?』
ケラケラ笑いながら、頭をクシャッとした。マサトは背が高い。私なんか子供みたいだ。おいしいというおでん屋に連れていかれて、私はおでんどころではなかった。
『お前いまなにやってんの?』
「…普通に…」
ふぅーん、まぁいいや、と、いった感じ。
「色々あって…」
『彼氏はぁ?』
「はい?」
『男。いんのかってw』
「死んだよ」
『は?』
………。マサトにしてみると驚きだったかもしれない。離れてもすぐに自分の元に戻ってくる女だった。それが急にいなくなった。結婚でもしたのかと思っていたのかもしれない。それがばったり会って、男の存在を聞いてみたら彼氏はいたけれど死んだ、なんだそれ、だ。
「あなたと別れて、別の人と付き合った。結婚するつもりだった。でも死んじゃった。それでもうなんか、まっすぐ歩けなくなった」
私はマサトに恋をしていた。大好きだった。亮介が出来て、マサトの事で喧嘩もした。でもそれは、恋だった。愛じゃない。カッコいいから、仕事が出来るから、タイプだから、モテるから。確かに、私が一番恋焦がれたのはマサトだった。どうしようもなく好きだった。でもそれはいつでも一方通行で、亮介ほどは私を愛してくれてはいない。
『なんで死んだ?病気か?』
「表向き事故、実際は自殺だって聞いてる…」
『結婚すんじゃなかったのかよw』
……。解らない。解らないけど、ハッキリしない事は言えない。黙るしかなかった。目の前のお酒をグビグビ飲むしか出来る事がなかった。
『男ならなぁ~愛した女をまもってなんぼだろ。何やってんだよ、そいつは。結局自分だけ逃げて。よろしくねぇな。お前泣かすなんて』
「…あんたもでしょ」
『えーなにがぁ』
何がぁ、じゃねーよ。そもそもあんたがキチッと私を捕まえてたら、あの夜はなかったのだ。責任をとらなかったし、あなたは私を守らなかった。それなのに亮介を悪く言う。これにはもうなんとも言えない苦さがあった。とにかく口の中が苦かった。責めたところで始まらない。マサトに相手にされないからと、亮介を選んだのは私だ。でも。でも、と思った。比べるべきではないけれど、あなたは私の為になど泣かなかった。あなたは私がそれでも幸せだろうと勝手に独り言ちた。それが私だと勝手に信じた。
「もう帰っていい?」
『なんで。もちょっと付き合えよ』
「やだ。このまま行ったらどうせホテルじゃん。それで?寝たからまた俺の女?なにこれ、バカらしい。帰るわ」
悲しかった。私が私であった頃をよく知っている人。遠藤さんも亮介も巻き込んで、記憶の中から全部、全部を連れてきてしまう人。滅茶苦茶に好きだった人。考えなくもなかった。亮介を重いと感じた日。マサトなら私を煩わせないだろう、マサトは私を重いと感じていたからかもしれない、そういう事を考えなくはなかった。そこに逃げたいなぁって、考えなくはなかったわ。私は最低だ。いつでも最低だった。
立ち上がろうとしたら、腕を掴まれた。
「なに、もう帰るから。離して」
『お前、俺が35になるまで、待てるか?』
「なにを?何の話?」
『結婚。』
「はい?」
『俺が35になったら結婚しよう。後ちょっとだ。4年』
「やめてよ……帰るわ」
外に出て、泣いた。大泣きした。周りの人が私との空間をあける程に泣いた。私が好きだった人間が遠い先の話でも真剣に考えていた事があった。それが愛なのか恋なのかは知らない、でも人には人の愛し方というのもある。同じ速度で、とはいかない事もある。だけど。色々が捻じれてしまって、私は私の罪を背負った。それを知らぬ顔で、そう言われたから私結婚するね、ごめんね!とはいかない。私は汚れた。もう昔の私じゃない。幸せになる資格を自分から放棄したのだ。汚して、穢れた。
自分にも他人にも周りにも、心から、ごめんなさい、と思った。色々が申し訳なかった。生きる価値もないような状況で育ち、生きる価値もないと他人に言われて、その中でも必死に色々を守ってきたのだ。誰かがちゃんと、自分の知らない場所でちゃんと、幸せを願ってくれていた事を知らなかった。私なんて消えればいい、そう思っていたのに、私が誰かの中でちゃんと生きていて、私はそれを殺そうとしていた。消そうとしていた。そうさせたくなかったから亮介は私を守ったのに、私は何もわかっていなかった。自分の愚かさと自分勝手さに、泣いた。
数日後、久しぶりに派遣会社に電話した。担当の男の子が
「どぉあああああ!めちゃくちゃ久しぶりですね!元気なさってましたか?連絡つかなくなってからあの子どうしたあの子どうした、もうほんとに、凄かったんですからwまた仕事します?入ります?飲みに行きましょうよ」
『はいはいw』
隙間でまた、派遣をいれる事にした。この生活から、抜け出さないと。そんな気分になった。抜け出すとしたら、どこで溝をつくる?私は亮介の命日に標準をあわせた。あなたのいなくなった日、私もいなくなった。私はまたその日から、ゆっくり歩きだすだろう。
寺田さんがそれを許せば、の、話だけれど。