聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第二章 vol,4

私は毎日毎日検索の鬼と化した。会社でも猛スピードで仕事を固め、片手間に精神病とは、薬とは、治療とは、病とは、そんな事ばかり検索した。知っていて損はない。今はよくても困った症状が出た時にこちらがどのように望めばいいか、は、シミュレーションしておく必要があった。

 

病院にも付き添った。同じく杉並の女医のいるこじんまりとした心療内科だったが亮介はあまり話さず、向こうの質問にはいやいいえで返答するだけで山のような薬が与えられた。一日の使用量は朝から晩までの量で20錠以上もある。少量をいくつかに分けてだとしても杜撰すぎると思った。

 

病院までは電車を使わねばならず、車内のかろうじて効いている冷房の涼しさと窓から見える景色や差し込む光に、遠足みたいだね、そうだね、とワクワクし、亮介は嬉しそうだった。ずっと私の指先を撫でたり手をさすったりしながら落ち着いた表情をしていて、この人が精神を病んでいるなんてとても思えない、そんな柔らかな風景だった。

 

『俺はやく働いて、みゆちゃんに指輪買ってあげなきゃね』

「あー、そんなんで縛る気だーw」

『じゃあ俺のつけてるの、ひとつあげようか?』

「いらないよw私ひどい金属アレルギーだもんw痒くて死んじゃうw」

『え、なんで言わないの!ピアス、チタンかステンレスにしようかな…』

「亮介かえる必要ないでしょ?www」

『みゆちゃん抱っこした時にほっぺやら首筋やら、荒れたら困んじゃん』

「その程度なら大丈夫だよ~。それもあるけど無理してほしくないって事」

『ん?ピアスのこと?』

「違うww買ってあげたいなって思ってくれるのは嬉しいよ?だけどそんなもん、あったって意味ないでしょ?繋がってる証拠だとか、これは自分のもんだ、なんて、どこアピールよwそういう無意味なものには私全く興味ないの。だいじなのって日常そのものでしょ?病める時もって言うじゃない?」

とってもとっても嬉しそうに笑った。陽のあたる横顔。

 

何が一番人にとっての安らぎか。認めて貰え理解される事。話をきちんと受け止めてもらえる事。支えになる側が不安そうな顔をしない事。痛い時にはどんな風に何がそんなに痛いのか、をきちんと聞いてやる事。それが一番の解決策だと思った。薬なんかよりも、よっぽど効果があった。

 

いつか私の事をきちんと話さないといけない日が来る。どうかその時にそうか、と笑ってそれでもみゆちゃんはみゆちゃんだよ、と言ってくれるように。

 

 

「病院、変わった方がいいよ~って言ってみようかなー」

鼻の下にペンを挟んで椅子をギコギコしながら言うと、ドジョウでも掬って来い!仕事しろぉい!と遠藤さん。

「あー、ついでになんですけど…私、夏でこの現場多分おわりかなぁ、と」

これには遠藤さんが立ち上がり

『え!いなくなんの!?』

と言った。

 

「永遠に会えなくなるわけじゃないんだから大げさな~仕事終わったら飲みに行ったり、休みの日に会ったりしましょうよ~遠藤さんのおごりでww」

『いや、それはおごるけど…奢るけどさ…』

あ、奢るんだ?wそんな会話をしている時だった。

 

『ちょっと!あ、だめだ、入口の方見るな!私の顔を見続けろ!めっちゃイケメンが9時の方向に!』

え、まじかよ、見たいんですけどwと思ってチラ見をしたら外から私の姿に気づいたらしいマサトが花を持って立っていた。

 

驚いたのは私の方で、え、なんでいるの、え、のパニックぶりに遠藤さんが気づき

(うわぁあ!あれが噂の!!いやいやいやいや、なんかもうわかった!そーだな!そりゃ都合よくもなる!)

と小声で言っていた。都合のいい女、認定。

 

どうぞと案内して、どうしたのぉ!?と言うと、社長は?と言うので、え、社長の知り合いなのか!?と思い、あーお呼びしますっ少々お待ちを、と極めて事務的に答え、社長を呼びに行った。

 

名刺交換をしていて、あれ!?名刺交換って知り合いじゃないって事!?なんなの!と突っ立ってみていたら

"僕の彼女がお世話になっています"

と挨拶をしていた。遠藤さんは、きたー!の絵文字のまさにあの顔で私とマサトの顔をチラチラと伺っていて吹き出しそうになっている。

 

社長は私に

すごいすごい。こんないいところにお勤めのかっこいい彼氏がいるなんて~。将来安泰だねぇ

 

と悠長に言った。

 

"将来的には結婚も考えておりまして"

 

信じられない、と思った。デキる男はすごい。とにかく自信に満ち溢れている。負けなしのブイブイさでお前おんな何人いわせてきたんだこの野郎!と思うくらい圧倒的気品とプライドの塊!がそこにいた。

 

もぉ~やめてよ~、なんでそんな事いうの?信じられない…

"今日は近くに寄っただけですのでお近づきのシルシに。"と花を預け、社交辞令の挨拶と私の事を頼んで颯爽と帰って行った。

 

遠藤さんはゼエゼエ言いながら、いやぁー!いいものをみた!目の保養だ!お前という女はすごい!と爆笑していた。あんないい男が花を持って会社を訪れるなんてなぁ…と言っていたので、なんだか更に脱力した。そうだ。彼は仕事もできる。対し亮介は精神を患う大学生だ。

 

でも、と思った。

でも、私を大切にしてくれているのは亮介で、マサトの元に戻っても私たちはきっと、うまくはいかない。会社にいる内に先ほどのお礼のメールをした。

 

---なんで急に来ちゃうかな。一言いってよ。びっくりするじゃん。

---嬉しかったくせにw

---どうせあれでしょ?ほんとに近くに寄ったから、とか、こういう職種だと食い込みやすくなるからっていう新規クライアント開拓とかそんなでしょ?まぁ幾らでもダシに使ってくれて構わないけどさ。

---近い内に飲みに行こう。長い事一緒に過ごしてないしな。

---はいはい。了解。

 

ああ、この人はいつもこうだ。退勤、退勤。

 

疲れて家につくとバイトの情報誌をチェックしている亮介がいた。

『みゆちぁああん!おかえりー!会いたかったよー!1日が長かったー。太陽がみゆちゃんを連れ去ったら月が出るまで返してくれないし窓あけっぱなしにして、いつ帰ってくるのか、まだかなぁ、まだかなぁってコンビニ行ったりしてたんだけど、やっぱ俺大学やめて働こうと思ってとりあえずバイト情報誌買っちゃった』

と無邪気だった。いつもと変わらずに頭をぎゅーっと抱っこして、つむじにちゅっとキスをして、荷物を置いて

 

「あぁ!疲れた!お風呂!いってくんね!」

とシャワーを浴びていたら物凄い勢いでガザッというような音がして驚いて飛んで出てみたら私のふたつ折りの携帯がもう二度と二つには折れてくれないような形になっていて、何があったんだろう…と思い、しまった…と気づいた。

 

『また会うの?まだ…好きなの?今日、会ってたの?』

肩が揺れていた。ちょっと落ち着いて、と触れようとしたら、触るな!と怒鳴られて、とりあえず服を着てくる、と服を着に行ったけれど足が震えた。私に怒鳴った事なんか一度もなかったから。

 

服を着て、前に座って、話をしない?と言ったら、さっきは大きな声だしてごめん、と言われたので、いやいいよ、誤解させたの私だしね、と口にはしたものの

 

"なぜ携帯なんかこんな時に限ってあけるんだよー!"

 

と思った。壊れてしまったので確認は出来なかったけど、こんなバイトがあったんだけどみゆちゃんどう思う?と携帯のメールに画像を添付したのだが若干サイズが大きかったのでちゃんと送信されたかどうか確認しようとしたら、たまたま、やりとりが見えてしまって目の前が真っ暗になったのだ、と言っていた。

 

"ああああーーーー私のばかーーーなんで消しておかなかったーーー!"

 

個人の物は触るべきじゃないよ、と言いたかったが、いかんせん私に誤解させるような行動があった為にこの場では言うまい、それは自己弁護にしか響かない、とぐっと言葉を飲んだ。しかし、毎回こんな事で逆鱗に触れていては私の気持ちがもたない、とも思った。先日に、重いと思った事を反省したばかりだったのに、また、もう少し穏便に…と思っている。

 

「亮介に聞いて欲しい事がある」

『なに?』

「私その人の事、本当に好きだったの。でも、私、子どもも産めないかもしれないし、結婚だってできないかもしれないんだ…だから、諦め半分で好きだったってのが本当のところ。やっぱり好きな人には、幸せになって欲しいんだよね。じゃあどうするか、諦めるしかない、そうなった…」

『なんで結婚できないの?』

「結婚ってさ、本人同士がよくっても、親同士ってのもあるんだよ。フランクな親で理解ある人ならそんなに問題もないけど、残念な事に彼はいいとこのお坊ちゃんだわ。私なんかが相手にされるなんて考えた事ないし、ちょっと夢見てただけ。」

『こどもは?なんで?できないって言われたの?』

「子供はちょっと頑張らないと無理かもしれませんねってずっと言われてるよ……半年ごとに治療もしてて、今は年の後半だからお休みだけど、年始になったらまた始まる。」

『なんでそんなだいじな事いわなかったの?』

「言えなかったよ。亮介、子どもできたらいいなー、なんて言うし」

下唇をペロリと舐めてからしばらくして

 

『俺の事なんかどうでもいいから言うべきだったよ、そういうの。そしたら一緒に考えるじゃん。悩むじゃん。同級生、医学部のやつもいっぱいいるし、相談できるやつなんかごまんといるわ!そんな事で悩んでたんならみゆちゃんはバカだよ。俺べつに子供がほしいわけじゃないんだよ?みゆちゃんとの間にできたらすげぇ可愛がるだろうな、だってみゆちゃんの子だもん、そう思ってただけで、みゆちゃんこそほんとの愛、知らないんじゃないの?そんなくだらねぇ今までの男どもと一緒にしないで欲しい。

 

そりゃさ、今大学生だし薬も飲んでるし、頼りないかもしんないけどね?一応こっちは東大一発合格で受かってて途中で受けなおして今んとこに転入しただけなんだよ。途中でやめようがやめまいが、そんだけの箔はついてんの。わかる?就職できないわけじゃない。学校行きたい理由も就職したい理由もなかったし、生きてたい理由もなかっただけ。でも今俺、一緒に生きていきたい人が出来て、就職したいなって思ってるんだよ。みゆちゃんが日本がやだって言うんなら海外だってどこだっていいよ。どっちんなったって日本、俺あんま興味ねぇし。語学だって五 六個は出来る。

 

何のための教育だ!勉強だ!俺はこいつらを喜ばすためだけに勉強してのんかよ!っていままで思ってきたけど、勉強してきた意味ってみゆちゃんにあったんだって思い直してるとこなのに、諦めたような事、言わないでよ。頼むよ…』

 

と矢継ぎ早にまくしたてられた。それから

 

『絶対結婚しよう。子供が欲しいんなら養子貰えばいい。俺は家族で傷ついてきたから、その子の気持ちだってわかるし泣かしたりしない。だから何にも心配しないで。みゆちゃんに欲しいもんがあるんなら、俺が絶対かなえてあげる。そんな事は夢だなんて言わせない。』

 

と言った。なんて人だろう、と思った。私が子供だと思って相手をしていた亮介は立派な大人だった。私よりも充分、強かった。後で亮介の同級生に聞いた話だが、亮介は自分達なんかよりもずば抜けて頭がよかった、どれだけやってもまったくかなわなかった、あのまま何もなく日々が過ぎていたらノーベル賞も夢じゃないくらいの日本を動かすすごい研究者になっていただろう、と言った。あの頭は怪物だった、と。

 

その言葉を思い出すと、結婚しないでよかった、奥さんが私なんかじゃなくてよかった、と少し気分が安らぐ。私は亮介を泣かす存在にはなれないからだ。

 

「ごめんね」

そう謝ったら

 

今までちゃんと話聞いてあげられなくて俺もごめんね、と言った後に

 

『逃げちゃおうか、このまんま。留学したやつらも沢山いるし、そっちで部屋探してよって言えばすぐだよw一緒になりたい人が出来たって言って、学校やめて就職するわ!なんて言ったら、あいつら、目ん玉ひんむいて反対するだろうし、別にこのまんまいなくなったって誰も困んねぇ気ぃするわ。みゆちゃんは会社に言わなきゃまずいだろうけどさwまぁそん時は、寿って言っちゃえば済むんじゃん?』

 

「それはだめよ…w亮介がいくら嫌いでも、亮介の親でしょ?私の時はあれだったよ?急に今日からこの人が父親なんだからって言われてさ、学校行きたいんなら頭下げろって言われたよ?そんなだったからさ、それでもちゃんと学ばせてくれるってだいじにしてくれてるんじゃない?急にいなくなったら、ビックリなさるだろうし、亮介みたいにいい子育てたんだから、話してみても全くらちあかない、なんてわけじゃないと思うよ?」

 

『いや、みゆちゃんは知らないからだよw甘く見てる。この頑固で意思の強い俺が何度となく、なんて話が通じないんだ!って思ってきたような相手だ、放っておくのが一番だよ』

 

「そんな事ないって~wwもう、だって亮介、いい大人じゃん?反対されたら反対されたで考えようよw」

 

この時の私。この時の私は死ねばいい。本当にそう思う。私が余計な事を言ったのだ。私の願いはなんでもかなえる、亮介はそう言った。地球の裏側だってどこだって逃げるべきだった。全てから。