聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第三章 vol,6

ファッションヘルスなんかとは全く違い、デリバリーヘルスの仕事は妙に楽しかった。全く楽しい事をしていないのに、やたらと楽しかった。何の変哲もないマンションの一室を待機部屋として使用している店が多い。お客さんから電話があって決まった女の子のご指名もない場合、〇さん行って、と告げられる。女の子は待機中にしていた事を切り上げて、ドライバーさんの運転する車に乗って運ばれていく。お客さんが女の子を気に入らなかった場合、女の子はすぐに戻る事もあって、部屋に入れて貰えたらこちらから店に一本電話を入れて、そこからの時間で計算される。ドライバーも少しの間はその周辺で待機し、何も問題がなければ引きあげてくる。

 

働く女の子には色んな子がいて、生活の為に、私のように生きる意味をなくした為に、借金の返済に、退屈だから、新しいバッグが欲しいから、ホストに行きたいから、趣味と実益を兼ねるから、と様々な子がいた。あの世界は24歳から上は熟女とされる世界で、私は既に熟女枠だったものの、見た目が若く見えるという理由で熟女でも若い子でもどっちでもない、誰でもなんでもよい、どの客も相手の出来るオールマイティな感じだった。

 

何が楽しかったかを思い返してみると、独りきりではないと感じられた、という事が大きかったと思う。結局、人は一人では生きられないのだ。長い間ひとりでいたので待機事務所で、男以外の同年代の女の子に話しかけられると嬉しかった。お店のナンバーワンはどの店のどの人もほぼ、一緒に働く子とは話さない。格が違う、そういった雰囲気を出していた。かっこいいなーなんて思った事もあったけど、その世界では、の話である。どいつもこいつも皆一緒。この世には綺麗も汚いもない。自分にとってそれが必要かそうでないか、誠実かそうでないか、そっちの方が大切である。その現場で素晴らしくても、だから?他では?と尋ねられると、そんなにも凄いと言われるような話でもない。

 

仕事として面白かったのはどうしても無理だとか、これは危険だと感じた時に逆チェンジが出来る事だった。合言葉があり部屋に入って電話を借りて、電話を切り上げる時に

「ごめんなさい、事務所の手違いでここに来てしまったようで帰ってくるように言われました。別の女の子がすぐにくるので」

と告げて、飛んで帰ってくるという事が出来る。これは初めの頃、面白いシステムだなぁと思ったが、働き始めてから、ないと困るルールでもあると知った。ヘルス等の店舗型は困った事があっても周りに人がいるのでSOSが大声で出せる。デリバリーともなると完全に二人きりになってしまう。危険だと思っても逃げ場がなくなる。女の子達は生きる事に随分、命を張っている。

 

部屋の隅には受付用のデスクが一台あって、その頃の業界で一,二を争っていた人気店は中にいる全員が仲がよかった。暇になると今日暇だねーなんて話をみんなでしていたし、働くもの同士で帰りに珈琲を飲みに行く、お酒を飲みに行く、待機中にご飯を食べに行く、そんな事もよくあった。死にたくて始めた仕事でもあったけれど、こうも和気藹々としていると雰囲気が楽しくて、ああこの世界も悪くないな、なんて思ったりした。

 

色んな女の子がいたけれど、真面目に働いていてダブルワークで、なんて子はあまりおらず、虐待をされて育っただとか、付き合った男が酷くて気づいたらこの世界だとか、普通の仕事はした事のない子だとか、シングルマザーでだとか、何かしら皆、傷を抱えていて、環境は大切だなと思った。どこかしら愛の形が捻じれている。亮介の連れてきてくれたペットさんなんかはこうした傷の最上級の持ち主だったけれど、普通に育って普通に就職をして普通に恋愛をして普通に結婚して幸せに家庭を築くなんて事さえ、私やそうした人にとっては奇跡に近く、人としての価値を線引きされてしまうラインはどこだろうと不思議だった。生まれついた星や運が物をいうのだとしたら、彼女達は誰よりも幸せにならないと割に合わない。とてもいい子たちが多かった。亮介がもし女の子だったとしたらやっぱりこうしたところで働いたんだろうと思う。あの人ならば頭もきれるし、売れっ子も売れっ子だったろう、とも思う。

 

そのお店はとても楽しかったのにお客さんに呼ばれて外に出ている間、事務所に警察のガサが入ったとやらで事務所には戻らない方がよいと別の女の子から連絡があり、近くのファミレスで落ち合おう、と落ち合って、どこでそれを知ったのかを聞いたら連れていかれる女の子が車にのせられる手前でシッシと手で払う仕草をしたので逃げてきた、という話だった。彼女は暇でコンビニに買い物に出て、戻ろうとしたら沢山車がとまっていて、何事だ何事だと思っている内に状況を把握し、私に連絡をくれたんだそうだ。

「お客さんと離れた後だったんですか?」

『そーだよ。ちょうど帰ろうと思ってたところ』

「めちゃくちゃラッキーでしたね」

『そーだねぇ』

「…って事は売上そのまま?」

『そのまま。なんなら前の二件分とさっきので三件分、そのまんま』

「中抜きなしじゃないですか!」

『って事になるよね。助けてくれたから奢ってあげる♡』

「わー嬉しいー。いいんですかー。でも明日からどうしますー?」

『別の店、行くしかないでしょ』

「ですよねー」

季節は春で、あの庭のチューリップは咲いたのだろうか、そんな事を考えた。ナツメさんは元気だろうか。みんなどこにいってしまったのだろう。私は何をやっているんだろう。

 

人の優しさや楽しさに触れるとすぐに人恋しくなってしまう。次に移った場所はあまり女の子同士のやりとりもなく、受付はブスっとした嫌な男で、仕事自体は全く楽しくもなかったがたまに話しかけてくれる、とても二人の子持ちには見えない綺麗な女性がいらっしゃって、その女性はとても優しくて美しく、いつも気持ちの良い人だった。なぜその仕事をしているのかの詳しい話までは聞かなかったが、男性からも人気があってそれも納得できるような人だった。私はよく待ち時間に彼女の分の飲み物も買って事務所の冷蔵庫に入れておいた。

 

ある日の事だった。彼女が駅前のホテルに呼び出されて出て行ったまま帰ってこないという話になった。そうした仕事をしている人間はホテルの受付とは顔見知りになる。一日に何度も別の人間と出入りしていればそれはそうであろう。仲の良かった私が聞きに行った。部屋に電話して貰ったが電話は鳴るばかりで誰も出なかった。何回か繰り返して、部屋を見に行こうという話になった。私も行っていいですか?とついて行く事にした。

 

部屋に入ると開けっぱなされた風呂場の扉からモクモクと湯気ばかりが出ていた。先に入ったホテルの人が「大変だ、救急車呼んで!」と大きな声で言うのでびっくりして見に行ったら、頭から血を流した彼女の上にはジャージャーと蛇口から熱湯がかけられて、その部分の皮膚が裂けていた。痛みの感覚が少しマヒした日々だった。それを見て、その傷口をみて、一気にあの時の亮介がフラッシュバックした。店に戻っても気分が悪くて何も考えられないので早退して家に帰った。その夜、ひどく熱を出した。

 

翌日彼女がどうなったのかを尋ねたら、死んだと言われた。人気のある風俗嬢を狙った手口で、売れっ子さんは次から次に指名が入るので、前の客の売り上げをそのまま持ち歩いた状態で次の客へ乗り上げる事がある。それを狙った犯行なんだそうだ。死んだ、と言われても。死んだのに普通に営業するんだ?あんたらは最低だな、と腹が立って言った。その最低な奴らに使われてるのは誰だ、といけすかないデブの受付に笑われた。全く悲しそうじゃない。確かにそんなリスクも込みで働く現場だ。それにしても、今まで働いてくれた人に敬意のひとつもねーのかよ。同じ人間を捨て駒みたいに扱う事に、嫌気がさして辞める事にした。あの受付のデブは大層気分が良かったろうな。どこにいても相手にされるような人間ではないだろうに、人を神か何かのように切り捨てたりできる。私は壊れてはいたが、あれよりはマシだった。

 

数日また、深く沈んだ。やっぱり誰が死んだって、街は普通に動くし、空は晴れる。腹が立った。何にかはわからないし、言い表せなかったけれども、とにかくひどく腹が立った。残された子どもはどうするんだ。あなたしかいなかったりしたら、どうするんだ。誰かちゃんと悲しんでくれる人はいらっしゃるのか。私は悲しかった。私には悲しんでくれる人はいないだろう。それでも、だからこそ、余計に悲しかった。

 

一ヶ月や二ヶ月は遊んでいても暮らせるほどにお金はあったけれど、私は生き急いでいた。立ち止まるとろくな事を考えない。体はバカになるくらい、だるいし辛かった。かと思ったら次の日には今までないほどに軽く…そんな日を繰り返していた。多分、やっぱり、あの時に体の中が変わっていたはずだ。寺田さんに初めに任された店は面白くなくてお休みという形で出勤をとめてしまっていたけれど、のちのち別の仕事を頼みたいから、という事で私はそのまま部屋にいさせて貰っていた。あまり具合がよくないのであれば病院へいった方がよいとも言われたけれど、風邪だとかそうしたハッキリしたものもなかったので、これ以上があれば行きますと適当にかわしていた。寺田さんに、私が死んだら泣きますか?と聞いたら当たり前だ、と言われた。そりゃそうだよね、金にならないし。

 

楽しかった店時代にガサを教えてくれた子に連絡をしてみたら今は別の店にいてこっち来ますか?と誘ってくれてそっちへ行く事にした。入ってから数日の事だったけれど、髪が長くてパーマをあてたセクシーな、どうみても陰のある方がいて、その子と二人でパーマさんと呼んでいた。パーマさん訳アリ?あの感じだと訳アリじゃん?ほんと?さぁ…

 

ある日に事務所にビデオの撮影の話が入った。誰か出たいやついないか、という話になって顔出しはちょっと、という子と、金による、という子がいる中で、話が私に周ってきた。私は内容による、と答えたが、別にそれでもいいなと思っていて、とりあえず話は私で進んだ。あんなものに出て!と叱る親もいなければ、そんなのに出てたなんて…とこの先泣く人間もいないし、私なら困らない。が、あまり体の具合がよいとは言えなかった。その日の気分によるような、まるでイギリスの天気だ。約束の日の数日前からひどく熱を出した。起き上がれないほどになって、寒気はひどいし、数日寝込んでしまった。予定を変更して貰えるよう先方に連絡して欲しいと言ったら、私の代わりにパーマさんが行く事に決まったという。話をそのままあげても何の問題もない話だったが、取られてしまったような、使えないやつのようで、残念がって寝ていたら夢に亮介が現れた。

 

(みゆちゃん、病院に行って)

(亮介!)

(みゆちゃん、頼むよ、病院に行って)

(亮介、病院嫌いでしょ~?私今日の予定飛ばしちゃったよw)

(いいんだよ、それで。そうしたんだから俺が)

(え!亮介、なんて事すんの)

(いいの、みゆちゃんを殺すわけにいかないの、俺は)

(いいよ別に、死んだって。ここには亮介もういないんだから)

(いるよ、いつもいるよ。そこに)

(嘘つけーっっっっっじゃあ私なんで毎日こんなに苦しいの)

(いいからみゆちゃん。病院にいって。体だけはだいじにしないと)

(あんたなんなのよ。あんたがいなくなったから私は苦しんでんのよ。なんなのよ)

 

汗だくで起きた。考えると汗の出方もこの辺りからおかしかった。起きて吐いていたら、仲良しの女の子が尋ねてきてくれた。ビデオの撮影の話だけどパーマさんがいったらしいという話をしたら、その子が言った。

 

「あれはねー…私知ってんだけど、あれ、ちょっとやばいんだよね」

とキャッキャとした。聞いてみると、某県の山奥にある場所での撮影で、持ち主はなかなかの職業の方の物だけどそこで撮影があった後は誰もその子に会わなくなるって噂がある、との事だった。噂通り、その後、パーマさんには会わなかった。お店も辞められたとの話だった。日本の闇。怖いので聞かなかった事にしたが、私は何かと色々にギリギリで助けられて、ますます死ねない気になっていた。

 

寺田さんからの仕事と言うのは、なぜ綺麗でもなんでもない私に回してくれたのかはわからないが、そうした一般的な風俗の仕事とはまた違った、それだけを目的にしたものではなく接待の先にそうしたサービスもお願いされれば出来るという、所謂、高級娼婦の役割で、政治家、弁護士、芸能人、海外からのお客様、そうした人たちを相手にする物であった。私は国の犬のような存在になった。だからと言ってそれらを口外しようとは思わない。私は死ぬためにそれをやっていた。何かがあって殺されても何の問題もない、国の犬だ。生きるというのは上も下もない。底辺にいるフリをして食い込もうと思えばいつでも食い込める、そんな場所にいた。上と下は縦に連なっているわけではない。輪になっている。やろうと思えば好きな事が出来た。でも、それもしなかった。欲がなかった。欲がなかった事が逆に使いやすく、会社で培われた社会人としてのマナーや言葉使いや仕草、品、それらをトータルして持っていた使いやすくて妥当な人間、それが私だったというだけの話だった。死にたい気分とは裏腹に、華やかで美しい、そんな世界の住人となった。私にある今日の陰りは、そうして出来上がったものだ。