聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第三章 vol,4

誰からの着信にも一切でなかった。住所不定、無職、更には妊娠中。人を殺めた罪。目下悩みは、産むか堕ろすか。産婦人科の前まで行っては、やっぱり出来ない、と引き返す。ならば死んでしまった方が早い。一緒なら困らない。あっちの、世界を超えたどこか遠く、三人で暮らせばいい、三人で……

 

外でもネットカフェでもカプセルホテルでもどこでも飲み続けた。これだけ常用していれば助かったところでまともな子なんて産まれてこない。既成事実が必要だった。手放す為の、努力。自分の手を下さずに、汚さずに済む努力。Barなんかは最高の場所だった。ネットカフェでシャワーを浴びて小綺麗に支度して、若い女がチョコンと座って退屈そうに飲んでいる、ただそれだけでご馳走しましょうか?という紳士的な仮面を被った狼が現れる。

"とって食われてやるから、さっさと殺してくれますか?"

私の中にあるのはそれだけだった。ご馳走して貰い、相手の家かホテルへ行き、SEXする。

「え?中に出していいの?」

『どうぞ。妊娠しないから』

相手は喜ぶ。ラッキーだ。バカバカしい。生きる事なんてバカバカしい。早く殺してくれよ、人の上で喜んでんじゃねぇよ、気持ち悪い奴らだな、あんたらほんとの愛を知らないんでしょう?可哀想に…

そうしてシャワールームで、泣く。早く迎えに来て。早く。独りにしないで。亮介なんで迎えに来てくれないの。

 

「これ、お小遣い」

『…お金の為にやったとでも?』

「違うの?じゃあなんで付き合ってくれたの?」

『自分の為に』

男共は毎回このセリフを言う。嫌気がさした。金でしか操れないような物、金で解決できる物、そんな物にわざわざ金をかけるなんてこいつら本当にバカなんじゃないのか、私が言うのもなんだけど、お前ら空しくなんねぇの?

 

そんなこんなで

「あーでは酒代程度、頂ければ。2000円程度でいいです。ありがとうございます」

『もうちょっと持ってけば?金、あっても困らないよ?』

あったら困る。あるとどうにかこうにか生きてしまう。そんな日々のある日の帰り道、もう疲れてしまって、本当に心底くたびれてしまって、公園のベンチで亮介の残した大量の薬をバッグから出し、酒と一緒にむさぼり喰い、気づいた時には病院のベッドにいた。6日程度は昏睡していたらしい。

 

「お腹のお子さんが…助かりませんでした」

「そうですか」

私たちの子は亮介の元に旅立った。亮介が寂しくなくていい。昨日まであった夏が嘘みたいだった。時間の溝のラインはどこでひかれてしまったのだろう。何の感情もなかった。夏の日の出来事を思い出すとそこだけで生きていける。そこだけで私は笑ったり泣いたりする。世界は色がなく、何の痛みも感じられず、楽しい事もない。明日の予定もない。どうしてもしたい事と言われたら、この肉体を何とかする事だけだ。生きているだけで金がかかる。無駄だ。生きたくもないのに生かされて、無駄だ。早く迎えに来て欲しい…早く迎えに…駅で初めて待っていた亮介の銀色の透けるような髪の色を思い出す。亮介の香りを思い出す。病院のベッドの上で勝手に動く自分の指をみて、この指は亮介の髪を漉いている、そう知った時に私はもう私ではなく、何かに寄生されたようなそんな気分だった。時間の溝はどこに。思考がずっとその場を離れない。

 

ここを出てからどうするか。そんな生活を続ける内の中の一人で、まあまぁ優しかった少し陰りのある紳士の事を思い出して病院の廊下から連絡をとった。結婚もしていないし一人暮らし、立派な家に住んでいた。彼女がいるのかどうかは知らないが、いてもいなくても、嫌な別れ方はしなかったので良い知恵をくれるだろう。優しそうだったから殺してはくれないだろうけれど、無駄な気はしなかった。

 

外で落ち合った寺田さんはまさか私からの連絡があるとは思わなかった、と驚いていた。何故ですか、そう尋ねると、人生の退屈さを嘆くような他のお嬢さん方とは違ったから、という哲学的な意見を寄こした。退屈を通り越してしまいました、と笑うと、その意見には同意だね、と寺田さんは珈琲を一口飲んだ。

 

この人はバカではない、そう見抜いた私は寺田さんにこの一年の話と、あの夜なぜBarにいたのか、その後今日までどうだったか、を話した。話を聞きながら寺田さんはたまに辛そうだった。同じような感情を知っているのかも、と思ったけれど、それ以上は聞かなかった。君はまだ若いのに、と言われたけれど、だからどうしたというのだ、亮介なんかは24で生涯を終えたのに。寺田さんは聞いた。

 

「で?死にたいの?」

『えぇ。そのつもり』

「死んだとしても、泣く人、いないの?俺は?」

『寺田さんは泣かないでしょう?人助けみたいな話じゃないですか。私に惚れてるわけでもあるまいし。私は私をなんとかしたい、ただそれだけですよ』

「俺は泣くなぁ~。せっかく連絡くれたのに。それに…一回だったとしてもその…君の体も知ってるし…。若くて可愛らしい君みたいな子が死にたい死にたい言ってたら、じゃあ俺みたいな人間はどうしたらいいんだって話になっちまう」

『…無駄だと思うなら、死ねばいいんじゃないですかね。生きる価値もないって事が理解できた時、日々はなんの意味もないって痛感しますよ。その前に死んだ方が得です。死んでまで余計な事は考えたくない、そうでしょう?』

「そうかー。結構な覚悟があるんだぁ君は。じゃあってわけでもないけどね、いい仕事があるからどう?君みたいな子だとよく務まると思うけど。まぁ…あんまりね。こういう事すすめるのも大人としてはどうかな、と思うけど、すぐにも死ねないんなら、なんとな~くの時間稼ぎってやつで。その内、いい事あるかもしれないし」

『期待だとか希望だとかそういう物は残っていません。でも事実、明日も息をしてるとしたら確実にお金はかかる。無駄過ぎて笑っちゃう。明日明後日、すぐに死にたいのに…まだ死なせて貰えないなんて…。生き場所もないなら死に場もないなんて、嫌な話ですねー。』

「だからその、死に場ってのをさ、提供してもいいよって話だよ」

 

会計を払う時にクレジットカードが詰まって膨らんだ財布には色の濃いカードが何枚かあって、あれは黒だ、と思った。色が薄いか濃いかでしかわからない。でもあれは黒だ。寺田さんは金を持っている。金にまみれた生活で、この人はこの人で本当の愛を知らないから金に依存するのかもしれない、と思った。

 

ネットカフェで過ごす私の元に数日後、寺田さんから連絡があった。使っていない部屋があるからそこで過ごすといいよ、という話だった。土地転がしなのかな?寺田さんの実態はいまだ、掴めない。

 

昼過ぎに知り合いをそちらにやるから、何かあったらそいつらを頼るように、そう言われた。少し寂しい気もしたので

『私から寺田さんに連絡してもいいの?』

と尋ねると

「俺はいるようでいないようなもんだから」

と笑った。善い人なのか悪い人だったのかいまだにわからないけれど、あの人はあの人で生きている事だけは理解した。どっちでもよかった。私の目的は常に、死ぬことだけだ。

 

黒井という人が私を迎えに来て、当座の荷物だけを持って都内某所にあった部屋に通された。殺風景な部屋だったけれど、寺田さんは生活に必要な物があれば買ってやれと黒井に話しカードを預けていた様子だったので、冷蔵庫やベッドや布団、そういう物もいいのかと尋ねたら、いいよと言ってくれた。買いに行こうとしていたら、黒井が突然覆いかぶさってきた。

『やりたいの?』

と聞くと、ハツモノは食っておかなきゃ損でしょう、と言ったので、ああなるほど、私は売られるのだな、と思った。どっちでもよかった。

"ハツモノは 食っておかなきゃ 損でしょう"よく出来た川柳のようで笑っていたら何がおかしいのか聞かれたので、今後の展開が、と答えると、これ飲むとよくなるから、と錠剤を差し出された。

『これで死ねる?』

目を輝かせてきいたら、めちゃくちゃ死ねるよ、と笑われた。でも何もないところで、は、体が痛い。とりあえず生活必需品を用意してからにしましょう、そうしてペンギンのマークのある黄色い店に行き、色々を買って戻り、錠剤をむさぼってガンガンに交わった。黒井はどうだ死ねたろ?と自慢げにいった。私が死にたいと言ったのはそういう事じゃないけどね。

 

後で寺田さんから電話があったので、その話をしたら寺田さんは大層お怒りになっていて

 

「商品に物事を教える時には最後までしないのが普通なのに、あいつはそんな事をしたのか。ごめんね、嫌な思いをさせたね」

 

と謝ってくれて、黒井の姿は二度と見なかった。寺田さんが何のどんな位置でその仕事を回しているのかは知らなかったが、私は新宿の地下で働く事となった。ファッションヘルスだそうだ。ダブルワークは禁止?と聞いたら寺田さんは大笑いして、仕事の内容はダブルワークの、そのダブルの方に相当する物だからダブルだろうがトリプルだろうがしたい事をすればいい、お金を握れば死にたいなんて気持ちは失せるよ、と笑った。

 

そうだろうか。あの時代があって今があるけれど、お金があったら何でもOKとは思えないでいる。先立つものとしては必要だと思う。例えばケガや入院のあった時。私はあの時代に稼いだ金の全てを使い切った。あの生活を辞める時に、持ち越す事はなかった。金で買えるような物はいまだってそんなに必要だとは思わない。だって、金で買える程度の物だもの。私にとってはそのくらいの薄っぺらいものだ。それらが自分を彩るなんて感じた事はない。

 

寺田さんに現場に制服があるのかを尋ねたら、制服なんて物はないけど服が欲しいのかと聞かれたので、ほとんどを処分したしあるのはスーツが何着か、と話したら買いにいこう、と言ってくれた。その時は一緒につきあってくれて、私は寺田さん好みの着せ替え人形で、恐ろしく高級で、華やかな化け物が鏡に映った。部屋にテレビは買わなかったので、ついでに本屋に寄ってもらい、本を数冊買ってもらった。他に欲しい物はないかと尋ねられたが、これと言ってないので数日分のご飯代だけを貰い、酒に費やした。

世話になりっぱなしで何でお返しをすればいいのか解らなかったので、抱きますか?と聞いたらケタケタと笑いながら、生きていてくれるといいよ、と言われた。皆、無謀な夢を私に抱いた。

 

数日前に黒井が使った薬をお守り替わりに欲しいと言ってみると、寺田さんは自分の管轄にはない、という言い方をして、欲しいなら誰かに家のポストに届けさせるから、と言って、それは数日の間に玄関のポストから中に放り込まれた。

 

酒と薬と男とにまみれ、現実を振り返る時間がゆっくりと隙間を閉じていく。亮介は、幸せだっただろうか。離れた場所で私たちの子供と幸せに暮らしているだろうか。みゆちゃん、みゆちゃん、私の名前を呼ぶ声がいつでも耳について離れなかった。君がいたから僕は生きた。当の私は、生きる事の希望など、その果てに、捨てた。