聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第四章 vol,10

今年の春、気晴らしに東京に行った。2019年の15年目、今年も不思議な年だった。春、上京した時には15年ぶりにマサトに会った。変わってしまう前の私を唯一知っている人だった。私が自分で、あれは恋だった、と呼べるのは人生の中で二回しかなくて、一人は初恋の相手、もう一人はマサトだ。長かった15年間、15年もたったのにマサトはやっぱりかっこよくて、私の中では一番かっこよかった人だろうと思う。

 

反省会みたいなものだった。あの頃は、ああで、こうで。"あの頃"を話せる相手がいるというのは心地よかった。もうこれでお互いに会わないでおこうとする反省会。どうしていなくなったのか、亡くなったと告げた彼氏は私のせいで死んでしまった事、それは自殺でも事故でもなさそうな事、あれからまっすぐ歩けなくなってしまった事、それがあってから全部理解した上で結婚してくれたのが今の主人である事、人生を子供と主人と生きていくと決めた事…。

 

マサトはそんな私に

「お前は色々と考えすぎるからな。15年たったんならそろそろ自分の事も許してやれば?」

と言った。そうかもしれない。でも私がすべき事はまだ何も始まっていないのである。不思議な年だ。だいたい彼は、もう二度と会えない人の内の一人だと思っていたのに。亮介が鬼のように怒った相手だ。でも、私はきちんと伝える事は彼に伝えられたと思う。わだかまりの残ったまんまの恋だった。ようやく、清算できた。あちらはあちらであの頃は自分もモテたし若い内に金握ってちょっといい仕事なんかしてたらそりゃもうウハウハだったからね、俺も調子のるよね、と言った。

 

それでいいんだと思う。人の人生の中で今が最高だ!そう思える時間がないと、いつまでたっても、これでいいのだろうか、これでいいのだろうか、と問いながら生きて行かねばならない。散々やりきったしもういい、と多少ハメを外す時代もないと角が落ちない。あなたがモテたのはよく存じ上げております、私に悪かったなんて思わないでね、私に振り向かなかったから私はきっとあなたを好きだったのよ。

 

35になったら結婚しようといってくれたのに、あれから10年後にプロポーズを断った。亮介が機会を与えてくれたのかもしれないな、と思った。15年という時間は長く、それは誰にとっての節目でもあったから。

 

東京にいる内にこの景色を引きこもっている長女にもみせてやりたいと思い、出てこれるなら出てくるか?と誘ってみた。一日中引きこもっている人間である。NOというだろうと踏んでいたら、新幹線に乗って一人で東京にやってきた。眠る事を知らない街は随分と楽しかったようで、あれをしたいこれをしたい、散々連れまわされ、私たちは帰路についた。明日帰るという日に長女が帰りたくねぇなぁ…と言った。あれだけ外に出なかった人間をもその寛容さで受け入れる東京とはすごい街だ。

 

このタイミングで引越したい、等と口にすると主人は反対するだろう。今まで何度かそのやり取りもあったけれどガンとして動かなかった。店も家も揃い、経営もそれなりに順調に回るようになっていて、昔の、電気が止まる、ガスが止まる、食べるものがない、水が出ない…そんな事で悩まなくて済むような生活になっていた。その足掛かりとなったのが主人の生まれた土地で開業した事にあったので、この人は私が東京に戻りたいと言っても動かないだろうと思った。でも、そこから数日、長女の表情が実に明るかった。イキイキしていた。普段暮らしていても見られなかった笑顔が見られた。それが主人を動かした。

 

『引っ越したい?』

と私に聞いた。そりゃそうでしょ。8年ずっと言い続けたけど何をいまさら。

『引っ越すのはいいけど家は俺が決めていい?』

いつもの事だ。私は条件を出した。本気にしていなかったので臆する事なくお願いはなんでも言えた。キッチンが使いやすい、お風呂とトイレは別々がよい…と次から次にリクエストをした。そんな事を言いながら、叶いはしない。この話は頓挫するだろう。だいたい、田舎暮らし、それが私を悩ませてきたのだから、するならもっと早い時期に決まっていたのだろうし、その話が今の今でなくていい。

 

私は私で実は日ごろから東京の物件を眺めてはブックマークしていた。こんなところに住めたらな…ボロボロの家に住んで、電気の紐と間違えてネズミのしっぽを引っ張る、そんな事のない生活っていいな…夢だよなぁ……そう思いながら訪れて内見なんてしない夢の住居をピックアップしていた。引越し話も確率は10%ほどの物で、鵜呑みにすると、そうやって言ったじゃない、なんでなかった事になるのよ、と喧嘩の種にしかならない。だから、実は日ごろから眺めていてここがよいのではないかと思っていました、なんて事も言わず、あなたの好きなところにどうぞ、とその物件話を預けた。

 

東京のポップアップショップを出した時、何軒か内見して帰ると言った時には

『あの話、本気だったの!?』

とこちらが声を上げたくらいだった。色々回っても、納得がいくものはあんまり、と言っていた。まぁそんなものだろう。焦って一日や二日で決めるものではないし、東京と言ったって広い。端っこの方だって東京に入る。私は適当に自分好みで見ていて、選ぶのはどれも映画館が近くにあるから、といった不埒な理由で、板橋の方やそっちばかりだった。板橋ならイオンがある。家賃もお手頃。そんな理由。

 

ある日に主人が銀行に行ってくるから店番をよろしく、と言って出て行った。いつもなら車で10分くらい走り、隣町の駅前のコンビニでお金を降ろし、ついでに私の分のコーヒーを買ってきてくれる。コーヒー、まだか、まだなのか、コーヒーは…そうして待っていたらやっと帰ってきた。

『今日まじで遅くない?もうコーヒー欲しくて欲しくて…』

と言ったら、コーヒーを買ってきていなかった。え、コーヒーは!コーヒーどこ行っちゃったの、と詰め寄ったら

『今日のは本当に銀行だ。家の契約をしてきた』

と言った。ええええええええ、結局、どこにしたの!?ほんとに?冗談だったらそんなつまらん話より、いますぐにコーヒー寄越せ。

『新住所は目白です』

目白!…で、目白ってどこだっけ?目白って何があるっけ?スマホで検索したら、学習院が出てきてしまい、あ、こりゃ用事ないわ…と言っていたら、椿山荘が出てきて

「あーあーあーあー、フォーシーズンズ!」

と言ったはいいものの2012年に提携を解消していた。時代というのは人がよそ見をしている間にも流れていくものである。

「あのラウンジがやたらと赤と金でふわっふわの絨毯で、椅子も座りづれぇ…パンツ見えるわ、座るとこ深っっ!てなったとこな」

と言うと、お前のように華やかな青春時代を送っていないので全然わからない、と冷たく言われた。初夏にそれが決まり、夏に引っ越した。

 

うちの店にいてくれるスタッフさんやお客さんのお手伝いがあって荷物を運び込めた日が亮介と私が一緒に暮らし始めた日だった。お前も度々こっちに何しに来てたのかしらないけど出向かなくてよくなったな、と主人が言った。墓参り、と答えた事はあるが、それがどこで何が祀られていて何のために通っているのかをよく理解していなかった。あの日のため、亮介のため、二人の子のため、あの日の自分のため、説明する事が憚られた。解っている事だとしてもよい気分はしないかもしれない、私だって気を遣う。

 

東京に長く住んでいても訪れた事のない土地はごまんとある。用がなければわざわざ駅を降りたりもしない。目白って何。目白ってどこ。あ、ここから池袋、歩いてすぐそば!え、ここってそんな都会なの?わ、新宿もちかいじゃーん、アクセス便利だねぇ、なんて話をしながら晩御飯がてら街を歩き回ろうという事になった。歩いて池袋の駅まで行ってみる?どれくらい距離があるのか知りたいし。そうして、明治通りにでたら見たことのあるアーチが見えてきた。

 

「!あれ!?まって…あれ?ここって雑司ヶ谷?あれ、鬼子母神道でしょ?」

『知ってんの?』

「……墓参りって私、あそこに行くんだよ」

『じゃあ毎日でも行けんじゃん』

「えー、なんか…こわぁ…なんか色々揃いすぎてない?」

『都会だもん』

いや、そういう事じゃない。そういう事じゃないけど、話しても解らない。

 

引越した日付け、実は鬼子母神の近く、朝に見た真っ白な不動産屋のフクロウまで…

池フクロウ、目白……

 

「なんにもありませんように」

決まるときには動かされるように色々が決まる。用意されていたかのような決まり方をする。成功を感じた事のある人にはわかる話。これは今じゃない、そう思っていてもストレートにとんとんと話が決まっていく事もあれば、今がベストなのにな、そう思っても一向に動かない時がある。信じられない…本当に何かあるのかもしれない…今年は本当に不思議な年で、清算と決着、そんな年なのかもしれない。すぐにもあれから15年目がやってくる。その時を東京で迎えるとは私自身も、思わなかった。