聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第四章 vol,8

娘は誰の予想をも裏切って、ぐんぐんと成長した。確かに私たちも同じように頑張ったがあれは本人の生きる意志だっただろう。えらいのも頑張ったのも私たちより本人である。三女はやっぱり他の姉妹のどの子よりも粘り強く負けず嫌いで、出来ないことがあると出来るまで何度もトライしようとする。生きる事は挑戦だろう。三女から教えて貰った事もたくさんある。誰かに何かを教えたり教えられたり、誰かが誰かを支えたりする事に性別も年齢も関係ない。見た目や言葉ではない事もある。想いだ。幸せを願っている、願われている、その生を歓迎されている、存在を認められている、それらが人を生かす。人に命を与える。私はその生を否定もされたし、存在が消えればいいと願われた。だからそれらの有難さが人よりもよくわかる。そう感じられる事はとても良い事かもしれない。ろくな事がなかったし、ろくでもなかったけれど。

 

あんまりに上手に成長したので学会で発表してもいいかと主治医に尋ねられ同意書に判を強請られた程だった。周りよりもずいぶん遅れての成長だったけれど、三女はそれでも力強く自分の道を歩んだ。三女が三歳になる頃、主人が自身の通った小学校の近くに空き家を見つけてきた。都会で暮らしていた頃に毎月高い家賃を払う事に嫌気がさしていたのに、田舎に越してまで家賃が必要になる事を馬鹿馬鹿しく感じていたようだった。ボロボロで安い家だったけれど、ダメ!の注意が理解できない子が暮らすのには賃貸はなかなか厳しい物がある。賑やかでよい反面、家が傷むことは覚悟せねばならない。

 

引っ越しが決まり鞍替えをし、しばらくすると家も広くなった事だし、とその夏、私の実の父が遊びに来た。三女の状態は話してあったのでさほども驚かなかったが、その大変さには目を剥いた。それはそうであろう。聞くところによると私が小さかった頃はとても大人しくて聞き分けもよい子だったらしいので、父にとっての子育てとは手のかからない物という認識に近かった。それが私の場合、身体的な問題を抱える子の介護のような子育てに付け加え、長女と次女の世話もある。主人は仕事に追われていて殆ど私の手助けはしなかった。よくやってるわ…と呆れられるような現実であった。仕方がないでしょう、誰もそんな風になりたくてなったわけでもないし、私だってこの状況を望んだわけではない。でもそれが、私の、私たちの、生きるという事だった。2016年の事である。

 

私が小学校五年生の頃に両親が離婚した。私は母方に引き取られたので、その後は私が随分大人になるまで父とは音信不通だった。父がわかっていた事は自分との離婚後に母が連れ戻った男がやくざ者で、娘はグレて、どこの馬の骨かわからない男の子を若くでシングルで生み、その子を置いて家を出て二度と家に戻れない、そんなところだった。実際には違う。母はやくざ者と一緒になったはいいが、もう子供を持つ事が体の事情で許されなかった。日本の制度で未成年者の親権はその親にあるので、その未成年者が出産した子の親権もその親にある、とされるのだ。あの人達は自分たちの間の子を欲しがった。私はその犠牲になった。乳がいらなくなる頃には私は用済みだった。だから家に戻れなかった、というのが本当のところだ。

 

実際ならば、あなた達がもっとしっかりした大人であれば私はあんな目に合わずに済んだしその後もそれが原因で愛する人を奪われずに済んだのに、そう言って責めるべきだったのかもしれないが、私の人生はいつだって私自身の人生だ。誰かに生んでもらった事だけで充分だった。だから自分の人生は自分の一存で、生かしも出来れば殺しも出来る、と思っていたのだ。私は父を責めなかった。責めたところで現実は変わらないし、もし責める事があるとするならばその後の事を黙認していた母にだろう。父には、今後も本当の事を話すことはない。話さない。余計な心配をかけるだけだし、二人は子供にはわからない何かがあって離婚を決意したのだろう。今更、自分たちの選んだ事が実は人の人生を歪めただなんて思わせない方が誰にとってもきっといい。

 

「そうよねぇ~まったく子供なんか可愛がりそうにない私がこんな母親業を好きこのんでやってるんだもんねぇ、信じられない!ってのもわかる気がする」

と適当にかわして、笑った。同じことをしなければいいだけだ。子供に対し、自分が受けた傷と同じ傷を背負わせない、他人にもそうである。横浜のあの人が言った、無駄に生きるな無駄に死ぬな、だ。生きると決めたのであれば、生きるうちに何を学ぶかで自分の人生は決まる。

 

新しい家の中には小さな神棚を作っていた。神棚、といっても、そこに一般的な神がいるわけではなく、私の元にいる亮介を忘れないようにするための心ばかりの場所だった。そこに水とたばこを置いていた。自分に負けそうになるとそこで話をする。これと言って素晴らしいような事は何もなかったけれど、例えば、今日はいい天気だったよー、とか、ちょっと疲れちゃったな、とか、そんなような事だ。日々、忙しさにかまけてしまい、日に日に存在を忘れていってそれでもいざとなって助けて貰う…そんな失礼な話もないのでいつもいつも気にかけた。

 

父がいたその日がなんと亮介の命日であった。父にウルルンを録画してもらったVHSのテープ、どうした?と尋ねたら何のことかわからなかったらしく、そりゃそうだよね、はるか昔の事だもの、と思った。そんな事あったっけ?としつこく聞いてくる父は、私に昼ご飯をご馳走してやるんだと私の家の台所で雪平鍋を握っていた。昼はうどんにする、と言いながら。

 

「12年前の今日、世界ウルルン滞在記のゲストが山口もえだったのよ」

と言うと、あぁ!と思い出したらしく、それから、彼の事残念だったね、と言った。そうね、と返した。まだあの時には生きていたのだ。あの後、亡くなった旨、報告はしたけれど私は長い間、父に連絡をしなかった。出来なかった。あんなにクズのような生活を送っていたのだもの。

 

父の作ったうどんができて、二人でずるずるとすすっていると父が温かいものを食べると鼻がとまらなくなる体質で、鼻を噛んでから私に一言

『誠実そうな子やったのにな』

と言った。知らないじゃん会った事もないのに、と私が笑うと言った。

『ぅん。会った事はないけどな。電話でそれが伝わってきた』

箸を落とした。思わず父の胸ぐらを掴んで何言ってんだ?今なんつったよ?と問いただす勢いで

「なんの話?誰と間違えてんの?」

と言ったら

『亮介君やろ?あんたの亮介君』

と言った。

 

「待って。待て。冗談だったら許さねぇ。何の話だ?」

ほぼ、やくざだった。もう私は、その時ほぼ、やくざだった。

『あんたが帰ってきて事故にあったらしいってバタバタしとったやろ?それでもうほとんど話もせずに行ってくる!って飛び出していったから話す機会がなかっただけ。あの日の数日前に僕は彼から電話貰ってたん』

「はい?」

亮介が私の実の父に連絡をしていた。どうして連絡先がわかったのだろう。どうしてだ。どうしてだろう。うどんはどんどん伸びた。途中で、食べんのやったら僕貰うわね、と父は横から箸を伸ばした。

 

あ……冷蔵庫だ。あの部屋の冷蔵庫。もし何かあったらここに、と私が貼っていた紙がある。私に何かがあった時は私の実の父に、と言って、電話番号を書いたメモを貼っていた。私があの日、亮介と暮らした部屋から持ち帰った荷物の中にはその紙は見当たらなかった。遠藤さんが荷物の仕分けをしてくれてはいたけれど、そんな大切なものをあの人が貼りっぱなしにするわけがない。という事は、なかった、という事になる。

 

「いつだった?思い出せない?それいつの事?」

『うん、だから、あんたが戻ってきて出ていくって出て行った数日前。会った事はないけど声は知ってるし、だから僕はあんたが、彼氏が事故をしたって言った時に早く連絡がつけばいいと思ってここは電波が悪いからって外に出したん』

あああ。あああああ。あああ。なるほど。ああああ。

 

「亮介、なんて言ったの?」

『うん、自分はいま大学生だけれども実はお嬢さんと一緒になろうと考えていて、一緒になりたいからもう学校を辞めて働こうと思ってるって話をしてて、それで僕はせっかく入った学校なんだったら最後までいけば?っていう事と、僕の娘だからあんたには悪いけど…あんたってあんたやで?僕にはあの子がどれだけ誰かにとっていい子なのかはわからんけども…そりゃそうやろ?どんだけいい女だって力説されても、そうですよねぇいい女ですよねぇ、なんて気持ち悪い事言わんやろ?wだから、君が学校辞めるほどの価値があるのかどうかはよく考えた方がいいよって言ったん。そしたら、あんたにもおんなじような事を言われ続けたけど自分の気持ちは変わらんって話をして、そっからはまあ、なんで僕がそれを聞かなきゃならんのよっていうような…のろけ?どんだけあんたが自分にとって優しいかとか、どんだけ可愛いとか、東京で、自分の傍でいつも楽しそうにやってるし、元気で仕事も頑張ってるみたいだから心配しないであげて、みたいな事…って、泣いとんのか…泣くな、いくら娘でも女の涙には僕、弱い…』

 

うどんを残してごめんなさい…でも涙が止まらない…なんでこんな事になったのかもよくわからない…あの子たちもいるし、あの人もいるから今の生活がどうって話じゃないんだけど…涙が止まらない…ごめんなさい…うどん…残した…あげる…ごめんなさい…延びてるけど許して…とザンザンザンザン涙を流して泣いた。

 

12年ぶりに亮介の生の声を聴いた気がした。私でさえ、亮介が生きていたなんて事は幻で、私だけの妄想だったのではないか、と思うような長い時間、彼は私の知らない時間に、知らない場所に、自分の気持ちを置いていてくれたのだ。存在しているものが物理的に存在しなくなる事で人の記憶からは薄れていく。自分だけがそれを覚えている事が怖かった。幻でも、夢でも、見ていたんじゃないか、と。

 

『彼の事は…残念だったけど…でもあの子たちがいるのも、今のあんたがいるのも今の旦那さんのおかげやし、それは忘れたらあかんで。彼の事は残念だったけど…』

と言った。わかっている、と頷いた。あの人が生きていたらどういう人生だっただろう、とたまに考える事がある。でもいつもそれを考えると、全く想像がつかないでいる。一緒にならなかったからいつまでも美しいのかもしれないけれど、喧嘩をしながらでも、喧嘩別れしたとしても、この世で生きていて欲しかったと思える相手であるのは確かで、私は多分、きっと、本当に、惜しい人を亡くしたのだと思う。

 

離れた間にそんな事をしていたのにびっくりしたけれど、そんな風にわざわざ電話して話したという事はいよいよ二人で逃げるつもりだったのかもしれない、と感じた。いよいよ二人で逃げなければいけない何かがそこに迫っていたのかもしれない。そんな人が自殺はない。自殺はない、と本人が言い切ったようなものだ。

 

うどんを食べ終わった父はからりとした顔をして

『じゃあお父さんも彼のために手を合わせるわ。そうかぁ。今日はその日で、僕はあんたにその時の事を今になって話しているんだから、何かしら彼がそうさせてるって部分もあるのかもしれんねぇ…あんたは愛されたんやね、ありがとうを言わんとな』

と言った。