聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第四章 vol,6

病院から病院までの距離は高速道路を使用して約2時間。その時には"疑いあり"、実際には確定。私の血液は外にもどんどん流れ出たし、腹膜にも流れ込んだ。状況としては、もし自力で出せないようなら腹を掻っ捌いてでも、その覚悟があったのでそれでも子が腹から引きずり出されてしまうと一仕事終えた事にホッとした。他の子は大丈夫だろうか。もうこれ以上授かる気もなかったので最後の出産になるだろうと踏んで、家族全員立ち会いの上での出来事だった。

 

次女はまだ物事をそんなにも解っていなかったはずだ。長女は同年代の子と比べても知能が高かったのであの子には大打撃を与えてしまっただろう。大事な人がどうにかなってしまうかもしれない、それだけで人は不安という名の波に連れ去られてしまう。溺れさせてやらないで。不安があったらしっかり聞いてやって。何が怖かったか、何があなたをそんなにも追いつめるのか、よくよく聞いてやって。救急車の中で祈ったのは、そんな事だった。主人は先にあちらについているだろう。私から生まれ出た命が全て助かればそれでいい。それ以外は特に必要はなかった。

 

誰かが死んでも朝は普通にやってきたし、コンビニも開いたし道路工事もしていたあの日、私が置いて行かれた朝がそうだった。気分も風景も感情も白けた朝だった。私がいなくなったって、私の代わりは幾らでもいる。よい母親が来ればそれでいい。悪い母親だったとしたら、私の元に亮介がたびたびやって来るように私も度々そこへ現れて蹴りのひとつかましてやればいい。救急車の天井が白む。不規則に二回、大きく心臓が鼓動して意識が途切れた。

 

どうやら私は私の命を手放したようだった。現実の私に何が起きていたのかは私には解らなかったがその間は永遠を思うような長い時間に感じた。初めはあの部屋にいた。庭にチューリップが咲いていたので季節は初夏だった。ナツメさんが塀の向こうからやってきた。左側の視界に煙草の煙があって、少し視線を落とすとぺたり床に座っている隣の亮介の指先が見えた。西日が差し込んで気持ちいいのとは少しほど遠く、眩しいねー、と話しかけるくらいの夕暮れだった。何を差しての事なのかはハッキリ解らないけれど、亮介は

『どうだった?』

と聞いた。

「どうってー。生きるのって大変だったよー。なんせ独りだもんねw」

『みゆちゃん、独りじゃないよ?みゆちゃんはもう独りじゃない。俺みたいにいてもいなくても同じだって人間とは違うよ』

「やめてよ、そんな言い方。私にとっては一緒に生きるつもりだったんだからw」

笑うしかなかった。

『みゆちゃんは生きてなきゃだめだ』

「なんで?もう色々、疲れたよ…?生きてたって中身がなかったらおんなじだよ」

『みゆちゃんはもうお母さんになったんだから。代わりはいないよ。必要な人だよ』

「お母さん…」

『そだよ。お母さん。新しく来た子にもお母さんが必要だよ。面倒見のいいみゆちゃんならきっと、ねぇw』

ねぇ、と言って笑った。煙草の吸殻が庭にポォンと放られた。話している間に主人の実家の台所のある土間が見えていて、そこに光が差し込んでいた。食器棚のガラスに陽が反射した。足元が冷えるような朝。主人の祖母がそこで紅白の餅を丸めていた。ほやほやとして、水のついたおばあちゃんの手で握られてつるんと顔を出す餅が、透き通るような色をして湯気を立てて

「新しい子がくるんじゃあ。でぇれぇ可愛いかろうなぁ」

と含み笑いで声にした。

 

そうだ、私、帰らないと。新しい病院についたら娘をお願いしますって頭を下げないと。

 

病院の入り口に救急車が滑り込んで、ギリギリで戻った私のあげた第一声が

「娘をお願いします」

だった。お母さんバイタル戻りましたー!生きてますー!の声から廊下を走るストレッチャーの上で医師の声を聞いた。

 

「お母さんもうちょっと頑張って!あとちょっと頑張って!必要な事は旦那さんに言うから!残せたら残す、でも無理ならお母さんの命の方が大事だからね、戻ったら子宮ないかもしれない、それでも頑張ろう!"生きて"」

 

"生きて"ここの声が亮介の声と重なった。暗い病室で目が覚めたら明け方で、もう私の体に子宮は残っていなかったし代わりにお腹から管が外に出ていて、トマトジュースみたいな誰かの血液が腕から注ぎ込まれていた。もう一度、目を閉じた。瞼の向こう、亮介の実家の、勝手口の前にあった携帯からこっそり抜いたSDカードに見た、初夏のチューリップが満開で風に揺れていた。

 

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誰かが死んだら、いなくなったら、あんなにも脆く、傍にいた人間の歩む道は途絶えるのに私はどうなってもいいや、なんて思った。居なくなられる側の辛さを自分が一番よく知っている癖に、全部を手放そうとした。大切な人間の死に方が、どうだろうと助かったのは、助けて貰ったという意味も含んでいて、助けて頂いた命、それこそを全うすべきだった事に随分と長い時間がかかってしまった。人が独りで生きているわけではない事の意味にはきっと、こうした生かされているような何かもあって、それは直接に産んだ産まれたの母子間だけの話ではなく、色々が加勢し、それ以前から流れてきた血もあり、現在(いま)を生きる人たちにも支えられ、私達はそうして生きているのだ、という事を身をもって知った。

 

もし、大切な人が遠くへ行ってしまって死にたいと思うような事がある人には是非聞いて頂きたい。それは誰かが犠牲になってでも、あなたを助けてくれたから、そこに残った命です。それだけでもあなたには生きる意味と価値がある。あなたには自分の中にその命や存在を生かす使命がある。追いかけたところで、会えるわけではない。私にはあの時、亮介の雰囲気とごく一部しか見えなかった。本人が直接に存在するのだとすれば、それはあなたの中です。相手を生かしてやりたい、やりたかったと真に願うのならば、あなたが死んではいけない。私はその事を身をもって知りました。いつか自然にお迎えが来た時にありがとうね、と皆にも、支えてくれた者や物に告げ、笑って去れる、そういう人生を歩んでいきたい。それが私が亮介から教わった事です。

 

よい人生という物がどういう物を言うのかはわからない。解らないけれど、人を陥れるような、バカにするような生き方を送ると葬儀には誰も参列してくれないであろう、という事も知りました。亮介の時には沢山の友達が来てくれた。あれは、あんな毎日の中でも彼が誠実に生きたから。一目でいいから顔を見たい、誰かにそう言われるような人生を送れたらきっとそれがよい人生であり、その人の最終的な評価になるのだろうと思います。

"やっと死んでくれた"

そのように言われるような人生を送ってはならない。誰も。

 

よく眠った翌朝、酸素マスクの下から

「死ぬかと……思ったよね…いたたたた…」

と目覚めた。主人は極力平気そうにしていたけれど、後で看護師さんに聞いたら

"娘さんも奥さんもいっぺんに、だったから、旦那さん…もう本当に魂抜かれたような顔をして全く休まれている様子もなかったので、奥さんの意識が戻られて本当によかったです"

と仰った。出産時のプッシングとその後の蘇生措置があったので肋骨は全損していて、食いしばりすぎた為に奥歯も全損、出血多量で子宮は破裂、散々だったけれど人間はそうも簡単に死なず、私は今日も生きている。

 

暫くは立ち上がれず車椅子で、今後もしばらくは車椅子生活を余儀なくされるかもしれないとも言われたけれど五階のNICUで眠る娘がもしかしたら早くに退院するかも、そう思ってリハビリを重ねた。くじけている暇はない。とにかく、私はお母さんなのだ。みゆちゃんはお母さんになったと亮介が言った。だから私はあの日に亮介に必要とされたように、今度は傍にある新しい命を支えなければいけない。必要な存在として。

 

娘に会わせて欲しいと主人に言うと、今はまだやめておいた方がいい、と何度か断られた。気持ちが沈むと体に障る、そう言われてそんなに酷いのか、と不安になった。それでもいいから会いたいと5階まで車椅子を押して貰ったら、娘は保育器の中で真っ黒だった。脳が腫れないように冷凍されているのだという。

「生きてる…んだよね…?」

目が離せなかった。娘の担当医が顔を出され、お母さんが動けるようになったなら、と、脳のMRIを撮りたいのだがあの小さな体に麻酔を使うとなると二度と目覚めない可能性もある、そのためご夫婦でよく話し合われて同意書にサインを、と仰った。

 

こんなにつらい事があるだろうか。どうして10年近くも経って、同じような思いをしなければならないのだ。私の一存で、私の存在が、何かの命を奪うかもしれない。この世に神だか仏だかが本当にいるのなら私の一生をかけてでも呪い殺してやろうと思ったし、それこそいるのなら捕まえて横浜のあの人に差し出し、こいつは私を傷つけたので殺っちゃってもいいです、と簀巻きにして東京湾に放るでも、コールタールに混ぜ込むでもいい、絶対に許さない、そう思うほど、恨んだし呪った。奴らはろくな事をしない。

 

病室の食事用のデスクの上にリップクリームを立てた。本気の神頼みだった。私の神は亮介だ。大丈夫なら倒して、と祈り続けた。倒れなかったらサインはしない。しばらく変化がなかった。もうサインはしない、そう思って車椅子でジュースを買いに行った。戻ったらリップクリームごと消えていた。私のリップクリームを知らないかと看護師さんに尋ねたらさっき掃除の人が来てたからゴミと間違えられたのかも、と言った。倒すだけでは飽き足らず、亮介はそれごと隠したのだ、そんな気がしたので、この子はきっとよくなるだろう、に賭けた。賭けてサインをした。

 

麻酔でだめになる事もなく検査は無事に済んだ。吉報だった。脳幹に傷があるとの話を受け、それがどんな物でどんな事かは見当もつかなかったのでキョトンとしていたら、奥の窓ガラスに近い方を指さされた。そちらを見るともう体の捻じれてしまったお嬢さんが酸素をつけていて、あの子は13歳ですがあの子も脳幹に傷のある子です、と言われた。一度も歩けた事もなさそうだったし、お食事も管から頂いていた。体が捻じれてくると内臓を圧迫するので肋骨が肺などを貫く事もあるらしく、家よりも病院の方が安心だという事だった。20歳まで生きられたらまずまずでしょうね、と医師が言った。

 

その日の夕方辺りから、私は何をやっているんだろう、としきりに思うようになった。私は何をやっていて何のためにここにいるんだろう。生きなければいけない、でも中身が全くない気がした。色があるのに色がない、そんな事は初めてだった。これまでは物理的に色を失くしていたし、でもまたそれとは違ったなにか。一度戻った感情がまた離れていくようなそんな感覚だった。あんまりに顔色が悪かったのか、それともそうした場合は普通なのか、明日は精神科の予約を入れてあるのでそちらへ、と看護師に告げられた。抗う事もなく、はいとだけ答えた。

 

翌日の精神科の医師は私が、今までに色々とあったのでこんな感じになった事があるけれど昨日からの私は何か今までとは違う感覚だった、と告げると、絶対に言わないから今までの事を聞きたいと言った。あーでこうでこれがあーで、話していくと離人症だね、と言われた。ずっとそうだったのかもしれない、と言うと、そうだったのかもね、と言われた。そうだろうがどうだろうが生きていかなければいけない。死ぬわけにはいかないのだ。私が弱音を吐くわけにはいかない、でもちょっと、疲れてしまって。

安定剤が出た。飲まなかった。

 

娘はMRIを受けてから、それでもゆっくりと成長していた。嚥下の障害があり、二歳になったら胃婁しましょう、と言われていたので鼻から胃まで直接に管を挿管しミルクを胃に届ける。それは私の仕事になる。聴診器を持って、音を確認しつつ、ゆっくりと差していく。ちょっとでも手元が狂って肺に入れてしまうと肺が溺れて肺水腫を起こす。亮介の最期が頭にちらつく。気持ち悪いらしく嫌がると激しく泣くし、手で払おうとするのでバスタオルでぐるぐる巻きにして処置をする。この頃、私は離人症で良かったと思う。少し大きくなってくると、嫌がるわが子を縛り付けてでもそれをする事になった。こうなってくると、虐待しているのか、助けたいのかなんなのか、よく解からなくなってくる。自分が死のうと思っている時、人を傷つけるなんて自分の事ではないし自分には大して痛みもないので全く平気だった。今はそんな事は出来ないと怯える。自殺行為というのはやっぱりそんな物だ。自分を傷つけられる人間は、他人にはもっと非道でえぐい。周りが同じだけ苦しむという事も理解していない。そんな事を簡単に選ぶくらいなら逃げ出してしまえばいいのだ。誰も傷つけたくないのなら、一番に自分を傷つけるべきではない。そう思う。

 

娘は何日も何日も保育器で朝を迎え、ようやく家に戻れる事になり、お姉ちゃん二人のする事を自分もしてみたいと望むようになり、私は私で頃合いを見図って、物の味を覚えれば自然と口から欲するようになるのではないか、と何でも舐めさせて好奇心と興味と本能を誘いだし、20歳まで生きられるかどうか、歩くなんてとんでもない、そう言われていた子を食べさせたし、歩かせたし、走らせたし、泳がせるところまで育てた。半ば意地、長期戦で殆ど眠らず皆が寝静まってからは勉強をして、生かしてやる事に奮闘した。亮介が欲しかった愛の味を、私はわが子に教える。