聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第三章 vol,3

警察に保護された私を迎えに来てくれたのは遠藤さんで「あんた…」とあきれ顔だったけれど私を怒ったり叱ったりしなかった。

『私多分死んじゃった方がいいよ…ごめんね』

遠藤さんは何にも言わなかった。

「そいえばさぁ、いつこっちの部屋、引き渡すって?」

亮介の親があちらの家で、最後に部屋にあがってきて話した時に

"あの部屋は10月には解約する"

と言っていた気がする。出来れば会いたくない。

 

帰りのタクシーの中

「じゃあさ、私手伝うからやる事やっちゃお。いるもの、段ボールに詰めよ。」

頼れる先輩だった。遠藤さんはテキパキと、これは持っていきな、これは持ってくとバレるな、と段ボールに詰め始めた。私がしろと言われた事はPCの中身の移し替えで遠藤さん曰く、これ以上亮介君のプライバシーを受け渡しちゃならん、彼はきっとそれは望まない、という事で、私は私で遊ばせている外付けのHDDを繋ぎ放題繋いで、どんどん吸い出し作業をした。

「あんたさ、仕事、どうする?」

あぁ…仕事。仕事か…。遠藤さんは少し立ち止まって

「うちに帰ってくるんなら私が社長に話するよ?それなりには、話してあるけど。本社の方もこれ以上はちょっと厳しいでしょ。それ以外にツテがあるんならそっちでもいい。とにかく、生きなさいよ」

生きる。生きるかぁ…。

『私、もう多分、戻れないよ?色が…見えてない。構築なんかはできても、色が見えてないの』

遠藤さんはちょっと怖い顔をして、何故そういう事を早く言わない?と言ったけれど、私も気づいたのはつい最近で、初めは山を見過ぎたからだ、夕日をみて瞬きをしなかったからだと思っていたけれど、緑から黄色に変わって黄色味が強く出てるなーって思ったらもう次には明るいか暗いかの区別しかつかなくなってた、と説明すると大きくため息だけをついた。今でもあまりに疲れると、白とクリームの区別がつかない、赤と紫の区別がつかない、そんな日があるけれどあの頃と比べたら断然マシだ。

 

「何してでも、とにかく生きてかなきゃね。さっさとやんな?初期化するからw」

遠藤さんは最高だった。でも、もうこれが終わって、ここを出て行ったら私は私を捨てるつもりだった。苺のアイスみたいに偽って生きていく。元々、私のようなきちんとした背景を持たない人間が誰かに愛されて幸せになろうという事が間違っていたのかもしれない。今までだって私をとりまいた環境が最高だ、なんて思った事はなかった。向こうの両親がいう通りに私は愛された子ではなかったし、傷つけられてなんぼ、そんな人生だった。なのにいつもヘラヘラと笑ってた。もう傷つけるのも、傷つくのも嫌だったんだ。誰かに傷つけられても、自分が傷つける側の人間でなければよい、そう願った。願った結果がこれだった。

 

誰かに幸せにして貰うだなんて考えた事もなかったし、そのせいでまともに恋愛も出来なかった。恋愛すると必ずその先に、背景を問われる。今回のような事になる前に退く事が一番だったのに、私はそれをしなかった。愛しているの言葉に甘えて、それを信じた。束の間の幸せだった。全部私が悪い。身の丈を無視した結果だ。あの人たちは間違っているけれど、あの人たちは正しい部分もある。

 

あんたみたいな人間が幸せになろうなんて百年早い、しかもその相手がうちの息子だなんておぞましい

 

正しいだろう。正しいと思う。私がいた事で、私の存在で、誰かを消した。生きる価値がない。

 

いつもよくしてくれる遠藤さんにも本心を言えなかった。生きていくという気持ちがもうない事、亮介がいなくなった事の原因としてその罪の重さに耐えられない事、妊娠までしている事、何より、こんな感情を普通の家庭で普通に育ってきた人に訴えてみたところでそれらが伝わるはずもない事。

 

手を休めた時に

『ねぇ…亮介、あれ…殺されたんだね』

と一言だけ告げたら、遠藤さんは私の顔を見ないまま、だろーね、と言った。

「あんたが、まだ何か聞いてない、わかってない事があるだけで、私はあんたがトイレにいってる間に本人から聞いた話の、そっちを信じてるから事故も自殺も初めからどっちも信じてない。」

『亮介、なんか言ったの?』

「んー…聞いたよ。あの目にも言葉にもいい加減さは見られなかった。彼が何か嘘をついて自分の気持ちを誤魔化したとしたんなら、向こうの親に対してだろうねー。亮介君にはあんたしかいなかったし、あんたしか見えてなかった。だから、こうなった。じゃあ誰がそうしたか。それはあんたじゃない。向こうだよ。」

と言った後に

「彼はね…僕はみゆちゃんと逃げて誰も知らない場所でいちから始めてもいい、周りは関係ないからみゆちゃんと仲の良いおじいちゃんとおばあちゃんになって、一緒の墓に入れるまで命をともにするつもり、その覚悟はできてる、僕に愛を教えてくれたのはみゆちゃんだからって言ったんだよ…」

 

言葉がでなかった。涙ばかりが出た。あれ程に狂おしい事はこの先もきっとない。もう戻れない。もうどこにも、戻れない。道が、途絶えた。鼻をすする音だけが部屋に響いた。

 

遠藤さんもこの結末に我慢ならなかったらしく

「これは?この本誰の?」

と三島を手に取った。亮介の、と答えたら、瞬間に

「こんなもん読んでるから死ぬんだよ、バカ」

とテラスに続く窓に投げつけた。剛速球で投げられた三島の角がガラスにヒットし、窓が割れた。遠藤さんは、三島が嫌いだった。愛すべき、彼女。

 

夏も終わりの明け方の、部屋にスゥスゥとした風が入り込む。窓の弁償は向こうの親にさせるがいい。どの道、玄関の欄間のガラスも段ボールが貼りつけられたままだ。寝苦しい昼間にPCから流れた優しい音楽も、記憶も、全て初期化された。ただの空っぽの箱になった。バカバカしい、なんの中身もない大学生たちからの寄せ書きは永遠に忘れないでおこう、と私の方の荷物に入れた。みゆちゃん同じの流すと怒るから、と笑ってた、まだ封もあけられていないCDも、亮介が持っていたMDも全部全部箱に入れた。思う存分、真面目でミニマムな暮らしをしていたという息子を堪能して欲しい。彼は真面目だから、ロックも聞かないし、ピアスもしてないし、貴金属なんかつけてないし、SM趣味なんかもっての他で…

 

「ちょっと!これレンタルじゃないの!?数すごいあるけど!!これいつから借り…あーーーー返却12日ってなってるよ!?しかもこれ……なにこれ…女子高生…わぁ…あ、熟女もある!」

『あぁそれwwwそれだよ、噂の!朝起きたら、眠らずにこすり倒してたっていう、あれww』

「置き土産で置いてくかぁ。家賃分くらい請求されるよwww」

『真面目な息子は幻想だった、で、悲鳴あげればいいんじゃない?』

「でもこれだと亮介君、誤解されそうだけどね、色々とw」

『あいつらがいう事なんて、どーせ、あの女の体の具合が宜しくなかった、その程度でしょwwいいよ、別にwwもう二度と会わないんなら、どう思われてもw』

 

遠藤さんは言った。

「でもね、いつかね、あんたが向こうの親に会わないでもいいように、彼はどうにかしてあんたの元にやって来る、オカルトとかそういう意味じゃなくて、あんたに対してだけ彼は誠実で、彼は永遠。あんたがダメになりそうな時は絶対あんたの事助けるだろうし、支えるだろうし、あんたがいないと彼の居場所がないんだよ。あんたら、そういう風に出来てるって思った。誰も知らないどこか遠い地でも、あんたら二人ならうまくやるわってあの時に想像したもんね。ああいう事って滅多にないよ。こいつらどうせだめになる、不安だわー、やめときゃいいのにってのはよくあっても。それくらい、亮介君の言葉には熱がこもってた。そういうもんなのかもね、運命って。彼は彼で、運命の人に出会って生涯を遂げた、それならそれで、良かったとは思わないけど…決められた何かってやつで。あんたはあんたで、一生を保障されてるよ。なんかあったら、彼が絶対、護ってくれる」

 

護ってくれなくてよかった。護ってくれないでも生きてて欲しかった。死ぬ事はない。別々の道で生きたとしても、どこかで生きているのであれば、それはそれで良かった。

 

『嘘、つけばよかったね。誰か好きな人が出来ました、だからあなたとはもう続けられません、正直あなたを重いと感じた事も数回はあったし、これ以上は無理です、ごめんなさいって』

「あんたの嘘を見抜けないようなバカじゃないでしょう、彼は。あんたよりも数倍、頭がきれるよ。」

『……ですよねー。三島、ゴミ箱へ捨てといて下さい』

「言われなくても、もう、そうしたよ!」

「…ですよねー。三島もたまには愛してあげて下さい」

『無理。私には無理。』

 

笑うような、泣くような、雨が降りそうで晴れているような、そんな朝に私たちは手を振った。荷物はいったん借りていた自分の部屋へ送り、自分の部屋からトランクルームを借りて、それから自分の部屋を解約、私は何も手元に残さなかった。バッグの中には亮介が最期にきいたMDウォークマンと亮介が飲み残した大量の薬と、音楽と、煙草。私はこの世の景色に手を振った。

 

遠藤さん、本当にどうもありがとう。心からの感謝を。

私の今の毎日には、あなたもいて、今日という日があります。本当にどうもありがとう。