聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

それぞれの価値

今月25日に入院が決まった。私としては長らく付き合ってきた体であるので、不調だろうが好調だろうがもうその境界さえも意識せずにここまで来た。難治性の病だという事もわかっていたし出来る事がないと言われている以上、体調を崩さぬようにするのが最重要。まさか土地が変わって初めての診療で即入院を突き付けられるとは思いもよらなかった。私の病気には病名をつけ難い、と言われてここまで来たが私は何度かある病名を疑い医師にそうではないかと打診した事もある。

 

最新の診療で告げられた疑いのある病名は、長い間私が訴えていた病名と一致、やっぱり!と思った時が今…となると、それに対する治療は四年近く放置されていた事になる。自分ではわかっていたのにその診断が下らなかったが為に放置され悪化、だなんてばかばかしい上に悔しさしかない。私の直感を見くびるな、と思った。

 

すぐに、とか、早くしないと、と医師は言った。私もそうすべきだとは思うが、どうしても、抱えている物が大きすぎる。三女の耳鼻科や歯科の入院も迫っており、更に今月、新店舗のオープンがあった。主人が留守にしがちな手前、子ども達の世話は私の仕事となる。今の今、という言葉に頷く事が簡単に出来ない。新店舗のオープンは早くて23日、この日がダメなら30日、と主人から聞かされていた後だ。23日に決定させて後の事は任せるしかない。

 

「25日は…どうでしょう?」と尋ねると早ければ早い方がいい、と手遅れになる可能性を説伏されつつなんとか頷いてくれた。

 

事が大きく動いているのにもかかわらず、そんな時に悠長にシステム手帳を眺めている場合なのか?ひとつ返事でOKしろよ、と思う自分もいれば、いや…できないな…と思う自分もいる。出来る限りの周りの事も考慮した判断を下したんだしこれ以上出来る選択がないな…と思いながら「オープンは23にしてくれないと困る事になった。ちょっと状態が大変みたい。。」と電話ぐちで切り出した。なんとなく相手がどう出るか、は、私もバカじゃないので知っている。私はいつも相手の言葉や言動に、期待はしない。

 

まず心配より何より先に、オープンの日は自分が決めるわけではなく携わる方の都合にもよるので勝手に決められない事、その件で明日からまた出張になる事。病気なんかしている場合か、と言わんばかりの勢いで次から次にスケジュールを投げられる私の図。

だからここまでやってこれた、というのも一理ある。自分の限界はいつも口には出せない場所に立たされる事で動いている体がある事や、いの一番には自分の事、と話を有耶無耶にしてしまう相手のやり方を許容してきたのは私だし、こういう状況だから甘えられない、それならば、とその感情を外注に出しては責められるのもこの私。私は損な役回りだな、と思ったら笑えてきてしまった。雨も降りそうにない空に乾いた笑いだけが響く。

 

何がおかしいのだ、とあちらは必死でモノを言う。男女関係上で優しさを求めた事はないが、それでもそこは人としてだろ?と思い

『タイミングよwモノを言うにもタイミングというものがあるでしょう?私はそれでも、と思って医者のいう"直ちに"の言葉を遮ってでも数日先に延ばしたんだから良しとして頂戴よw』

と言ったのだが、どうやら私が何に対して呆れているのかが伝わっていなかったらしく、私の態度が悪いとへそを曲げられてしまった。その時に

 

「お前はお前の事だけ心配してりゃいいかもしれないけど、俺は従業員もその先の家族、それらまで心配しなきゃならんのに!お前はそこを解っていない」

と凄い剣幕で言われたので、必死なのだろうな、と思った。あの人はいつも、私よりも仕事に恋をしている。それからそれが実に有難い事だと思いながら生活している自分もいる。ここは、正直な気持ちだ。申し訳なくなってしまうが嘘はない。もし、私にその分の精力を傾けられても私は答えられないからだ。周りはこれらのやりとりを聞くと、ご主人はなんてひどい事を言うのだ…と思うのかもしれないが、実はひどいのは私の方かもしれないので、私の中ではこの状態でちょうどよいのだ。ただ、諍い自体は好きではない事と、相手を敬えないのは人として宜しくないな、という部分にしか目が向かない。

 

私たちの関係は恋愛結婚ではなく、結婚する時に私は何度か断り

『私は二度と人を愛するつもりはない。それでも良ければ』の条件を付けている。言葉の通り、28歳で恋愛は終えた。以後、恋愛上では誰も愛していない。軽い恋愛はあってもそれは私を動かさない。幸せを感じさせるどころかその幸せは私を責め始める。他人がいくら、そんな事はない、幸せになってよい、そう言ってくれても自分の中では急速に冷え始めるのだ。自分だけが幸せになるわけにはいかない。これは病気だ。この部分は完全に病気だ、と自分でも思うが、それが私なので今更言ってみてもどうしようもない。

 

諍いは嫌なので少し時間をずらして家に戻る。

最寄り駅について子供たちはもうご飯を食べたのかを尋ねると、食べた子と食べていない子がいる、といういい加減な物だったので、どこかにみんなで食べに出かければ狭い空間で顔を突き合わせる事もないし、この重苦しい気分も少しは晴れるであろうと思いながら、食べに出かけないかと打診してみても、自分は腹が減っていない、という。

 

そういうとこだぞー!?

モテる男ってのは少しの気を利かせて、食べにでも行くか?と自分から言うもんなんだぞー?なんて思いながらも、そこにはそれを求めていないので、まぁじゃあ適当に何か買って戻ります、と家路を急ぐ。

 

診察入りの時間が12:15分ととても微妙な時間だったので診察が終わってから軽く食べればいいや、なんて考えていた私は検査でたらいまわしにされ、気づけば丸一日何も食べておらずクタクタで家に戻り、おかえりぃ♡なんてやたらとまとわりついてくる三女におまたせぇ♡と心配をかけぬように笑いかけ、テーブルに買ってきたデパ地下の総菜を、とん、と置いて椅子をひく。

 

途端に降ってくる冷たい言葉。

「んで?俺は明日出張いっていいの?」

『あーごめんごめん。いいよ、仕事してきて!』最大限に見せる優しさ。

虫の居所が一度悪くなってしまった人間はとことんまで組み伏せたいらしい。次から次の怒号の嵐。うん、うん、そーだね、うん、と総菜をつまみながら相槌を打つ私。

(うぉー!この京華樓の海老チャーハンくそうまいやんけー!なんだ、どうやったらこんな味が出せるんだ…天才か!) その程度でやり過ごしている私。

 

その感じにまた腹が立つのか椅子まで蹴り倒す始末。殿、ご乱心。さすがに子供たちもいるので、やめてよそういうの、と一言かける。何が間違いなのかなど、話したって仕方がないのだ。自分で理解できるまでは何も言うべきではない。しかし凄い勢いで詰め寄ってくるのでこちらもいう事をいうしかなくなる。

 

『あなたは好きでその仕事をしているわけでしょう?周りに "有難い事に自分の女房は自由にさせてくれる人間で" と告げるのは、家族があると好きな仕事を選べる人間ばかりじゃない、と解っての発言だわよね?こちらが大変になる事も承知で私はそれをさせている。それはこちらにとって色々な犠牲を生むわけだけど、私が出来る最大限の配慮はいつもしているつもりだし、他人の家族の事まで自分がこんな風になってるのに考えろって、それはそれこそあなたが望むあなたの仕事なんじゃないの??ってか、そもそも、自分の家族を顧みずに他人の家族、他人の家族言ってるのもどうかと思うけど?』

 

超正論の私。はい論破、黙ってチャーハン食わせろや、こっちは朝からなんも食べてない上に気分ダダ下がりなんだから、と心の中で思っている。

 

「お前には背負うもんがないから解らないんだ」とギャーギャー言う相手。知らない、それは私の仕事ではない。

 

『あのさ…まぁもう言ったところで仕方ないんだけどもね、あのタイミングで仕事の話なんか投げて更に、俺は辛いんだ!なんてのはおかしいでしょうよ。会社に風邪をひいたので休みます、と連絡をして、え!休むの?仕事たてこんでるのに?ってのは、この忙しい時にバカなの?這ってでも来いよってのと同じだと思うよ?

そうした考えが過ってもそこは堪えて、大変!大丈夫?病院には行ったの?動けないなら言ってね、くらいの心配よこしてなんぼでしょうが。それをせずに何こんな時に俺の辛さを知るべきだ!なんてギャースカ声荒げてんの?』

と私の感じた感想を述べる。もういい、お前は今すぐ出ていけ、そしたら子供抱えて入院費も自分で用意しなきゃいけない辛さがわかる!俺は寝る!と寝室へ。

 

道徳観念が欠如している。しているもののこれも不正解、というわけではない。あちらにはあちらの苦しみもあり、吐き出す場所がないのだろう。それもよくわかる。ああ、このシュウマイも最高においしいわ。。

 

そうしていると別の部屋の扉が開いて飛び出してくる長女。トイレへ直行。どうしたのよ、尿意くらいさっさと感じなさいよ、若いんだからw等と言っていたら、どうやら諍いのその会話が耳に届いていたようで、気持ち悪くなってしまい吐きに行った、と。

 

あぁー!申し訳ないー!!!そら悪かった、気にしないで!あなた食べたの?空腹すぎて気持ち悪いとかあるかもしれないし、あなたの好きな春巻きも買ったから…

と声をかけると、いらない、と一蹴し、一言だけ『あいつまじなんなの』と言いながら部屋へ。夜も更けていたし、明日食べてね、とそれを残したまま眠りについた。

 

翌日は以前から友達と約束していたので、私は私でとても楽しい時間を過ごし家路につくと長女が起きて待っていて、楽しかった?と聞くので、それはもう♡と言うと、具合は?と聞いてくれた。今のところ、別に?って感じ…?だってこれでずっと来たし、誰かに急にあなたの体ヤバいですよ!なんて言われても、しっくりこないでしょ…wと笑ったら、だいじにして、たまにはもっと好きな事して好きに生きるべきだよ、と言ってくれた。優しく育ってくれて本当に良かったと思う。

 

『私がわかんないのは…大抵の事は耳で聞けば判断がつく。わかんなかったら聞けばいい。なのに言われてる事や相手が求めてるものが言われても理解できないっていうことがわかんなかった……そんな風に人を思いやれない人間の血が自分に流れてるのかと思うとひどい嫌悪感で、何かを出さなきゃって気になって、吐いちゃった…』と。

 

さすが私の娘!賢い!!ここは自負していい!ただ、生き辛い!それでは生き辛い!

だから娘と膝を突き合わせ、腹を割った話をした。

 

そうした態度をとられるとどうしても腹も立つしその意見は人としてどうかと考えさせられる。でも、人として違うのではないか、と思う時、そうではいけない、と考えている自分にも同時に気づく。それはとても大切な事で、その気づきがないと知らぬ間に同じ手段を選ぶ人間になる。自分がしている事には鈍感なのに、他人を責めるばかりになってしまう。何かがあった時に"それではよくないな"と感じた、その自分をほめればいい。これだけは絶対に無理だ!受け入れられない!と思う部分は自分は他の人にはしないでおこう、それでいい。

 

相手が近い存在だから気を許して悪態をつける部分もおおいにあって、よく知らない相手に向かって自分の辛さを吐き出せないように、あちらもまた、抱えている物が大きく、色々がうまくいかなくて悩んでいる時なのかもしれないし。(ただ、だからと言って人に当たり散らしていいかどうかはまた別で、そこはコントロールしていかなければならないよね。)

 

腹が立つ事を腹が立つと言う事は誰でも出来る。間違いを責める事も誰でも出来る。難しいのはそれも一意見として認める事だよ、自分の抱える痛みがどれほどの物かなんて相手にわからないように、相手の抱える痛みもまた、全て把握できないのが人だから。もしかしたらどうしてそんな事に…と思う悔しさを上手に表現できなくてああして仕事仕事とそっちに話を逃すのかもしれないし、まぁこれは百歩譲ってねwでもそうして、仮に、や、もしかしたら、も考えの内に入れていくのが思いやり。

 

私はそれをしているのにあなたにはそれがないではないか、というのはこちらの言い分。あなたがどうだろうと、私はそうなんです、ってのが「自分」って物だよ。相手が優しければ笑って、相手が酷ければ笑えない、としたらどこに自分というものがある?それこそ、他人に振り回されてるだけだと感じない??そういう意味で物事を考えるとあの人には悪気はないのよ。自分ってものが(今回は悪い方向に出てしまったけど)色濃く出ただけの話。まぁ、実際にはそんな時に、自分自分言ってちゃモテないんだけど、それだけ思い入れの強い物があるっていい事だと思わない?私にはないから羨ましいなと思ってしまう。

 

"私は私で、誰かが苦しんでいたからそれに寄り添おうと思った"そう思えただけであなたは優しいのだから自分をだいじになさいね。と告げた。

 

その他

 

これをこうしたら何かが困るという事に縛られて結局手につかない、つける前から諦めるのがあなたなら、向こうはやってから考えるというやり方の持ち主でどちらが生き易いかと問われれば思った事を相手の感情も考えず素直に投げられる方なわけだけど…

 

それでもそれらの個性や特性は使いどころによるのよね、あなたみたいに慎重すぎる人間には商売は向かない。思い切りの良さは商売には必要な部分であって、どこをみてその人と付き合うか、どこにその良さを期待するかという部分もある。あの男がああではなかったら私はここにはいない、大成しないもんw頭であれやこれや考えるのが得意な人間にはそうして捉われる物の方が多くなるし、やっちゃってから「ああしまった、悪かったな」と謝って届く間はそんな風でもいいと私は思う。相手が絶対そんな事も受け入れられない場所に行ってしまったら、ごめんねだってありがとうだって、謝罪も感謝も届かないのよ…だから、ごめんねと言われる間は受け入れる、どうせ翌日になったら、言い過ぎた、と自分のした事に反省をするに決まってるんだからw反省しない奴とは今日まで一緒にいられないから、私はそれでいいんだと思ってる。

 

例えばね。なすびを初めて見て、これはなんだ食べ物か?と生で食べて、なんだよこれはクソまずいな!フヨフヨして!こんなもん喰えるか!って捨てちゃうのは、捨てる側の知恵が足りない、だってなすびはなすびとしてそこにいるだけだもんねw

これを焼いたらどうか、揚げたらどうか、煮たらどうか、でそのものの価値は見いだされ、同時に自分の願う価値になる。そのものの良さを、どこにあてるか、よ。悪い部分だけを見ていると、全部捨てる事になるから、気をつけなさいね。

 

 

娘は『パパを愛しているのか』と問う。

私たちの結婚の事情をなんとなくは知っているものの詳細はそこまで知らない彼女は、そこが、とても、疑問らしい。結婚を機とした私の問題はあまり語った事がなかったので、そこもきちんと話をした。

私に何があり、どんな暮らしをして、今の父親に出会ったか。その話の間、彼女は何度か泣いた。辛すぎる……と。恋愛に関しても心の動きが理解出来てきた頃の年頃の子には変えられなかった現実は大きく響き、どうして…だとか、悔しいね…だとか言った後

 

もうどうしてもその話、本にして残して欲しい!もっと詳細が知りたいし、なんかほら…結末が悔しいじゃない?書いてくれたら第一号の読者になるから!もっと早くに書いてくれたら良かったのに!と屈託なく言った。

 

書けなかった理由が自分達である事も知らず、のんきなものであるwまぁね、今年からはね、自分の中で解禁になったし、それで賞を欲しいだとかお金を稼ごうだとも思ってないからひっそりkindleで0円ででも出すわ、いつかあの事の真相が大きく違っていて誤解されたままの事が、違ったねって思われれば、それでなんか、もう納得いくし。

 

朝六時まで話をした。

今日も買い物から戻ると、次女が三女にしつこく何度もいたずらをしていて私が

「いい加減にしなさいよ~嫌がってるじゃない」

と声を荒げると長女が

『ママをイライラさせるような事するなよw体に障るじゃん』

と優しさを見せてくれた。我が家は色々とあるけれど、こうした諍いも含め、それぞれがそれぞれに成長していけたら、振り返った時に本物の家族になったなぁ、と感じられるんだろう。