聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

柿のなる庭

コーヒーを淹れて果物の皮をむく。毎朝私が一番にする事。今の季節であれば柿、梨なんかも起き抜けの、寝転んで体の底に停滞して固まった血液を流してくれるような気がする。

 

食べる物にまつわる文学やエッセイが好きだ。母の味や家の味なんて物は覚えきらないままに育ってしまったが好きも嫌いもなく何でも食べる子に成長できた事には大変に満足している。

 

何でも食べるよい子の私はこうして果物とコーヒーと清潔感のある音楽で一日を始める。凛としたような、それは雨が色々を洗い流して大地をしっとり包み込む感じに似て、全てが朝にリセットされる。誰にも気を遣わずに伸びが出来る時間。

 

端の方が色を帯びて少し熟し始めて来た柿の皮を丁寧に丁寧に薄くむく。あまり包丁を傾けすぎるとその熟した場所にあたった時、おいしく甘い部分をそぎ落としてしまう。丁寧に、出来る限り、薄く。まだ身の引き締まった若々しい部分も歯ごたえがあって程よく甘いしそれはそれで好きだけど、私はあの熟して繊維が一体化してしまったようなじゅるりとした部分が大好きだ。あれがないと柿とは呼べない、そう思っているので早くに買ってきて常温で熟れるままに放置し、その皮に白い黴が浮き始めるギリギリまで手を出さない事もよくある。熟しきった部分が零れそうになるとついつい唇から寄せていってしまう。お行儀の悪さをよく小さい頃には叱られたものだったな、とキッチンで思い出す。

 

柿というと。

私が通っていた小学校は家から歩いて1時間半の山の上にあった。山を最大限に子供の遊び場として活用できると考えた大人たちがそこに建設したのだろう。家を出て、集合場所に集まり、そこから川沿いを通り街中を歩き…と、山の入り口まで行くのにも時間がかかる。それなのにそこから更に登れねばならない。ランドセルは重たいし、ピアニカや書道セットを持っていく授業があったりしたら朝から疲れきってしまう。

 

街中から見える一番端の信号を渡れば、もうそこからは通学路として認識されている道なので縦並びにゾロゾロと蟻の行列を作らずに済むのだが、信号に出るまでは皆、無言で黙々と歩く。楽しい会話のひとつもあればあんなにも苦痛に感じないのに、行きの道はいつも苦痛だった。帰りは皆好きなお友達とバラバラに帰宅するのに……そう思いながら歩いていた秋の朝、Hさんという立派なお宅の垣根の中に柿の木があるのを見つけた。ちょびん、ちょびんと寒い朝に空気を鮮明にするようなオレンジ色が目に鮮やかで、垣根の上には木から落ち零れたであろう木の実をすずめがピョンピョンと飛び跳ねては啄ばむ。子供の群れがすぐ隣を通っても、逃げもせずにピョンピョンピョン。

 

垣根で囲まれた庭は古い日本家屋とは対照的に少し開放的に土地がとってあった。リフォームでもされたのか古い土の庭のままの部分に新しくはられたコンクリートが混在し、土の部分の少し奥まった左手奥には納屋のような物があった。通り過ぎる時、斜めから覗いていると藁や農機具が置いてあるのが見える。壁にぶら下がった分厚めの黒いビニール手袋が、朝だというのに煌々と灯ったオレンジ色の裸電球に輪郭をあぶりだされ、なんかちょっと怖い…と子供心に思った。

 

納屋の扉は西部開拓時代の酒場にみるような上下が広くあいた押し開きの扉の造りで、その中に人の足が見えたような気がして

「いま、中に人がいた!」と言うと、周りは『はぁ?』といった感じで、畑に行くんだろ、と取り合う事もなく、一列にゾロゾロと歩きそのままHさん宅の前を通り過ぎた。

 

学校の終わりの会の後、ユリくんとキタくんにその話をしたら、どこの家?ときくので柿の木がある家だよ、そこの小屋の中、立ってたら頭だって顔だってみえるはずだけど、足しか見えなかったの!死んでる人かも……と言うと帰りに見に行こう、とユリ君が言った。Hさん宅の前につくと垣根の中に柿が幾つか落ちていた。ユリくんがそれを拾ってくる!と言って敷地内に駆け出して行った。その時に納屋から声がした。『こら』と。

 

私たちは驚いて、ごめんなさい!と咄嗟に謝り駆け出した。朝の集合場所に使っている広場まで飛んで帰り、息もきれぎれに、誰かいたね、やっぱり誰かいたよね、と口々に言った。キタくんは大人しくて勉強もよく出来る優しい子だったので、人の家に勝手に入るのはやめよう、と言った。ユリくんと私は、でも生きてたね、人だったよね、と言いあった。

 

それから何事もなかったようにHさん宅の前を来る日も来る日も、ちらりちらり、確認しながら登下校をしていたら、ある日ユリくんもキタくんもそれぞれに用事が出来て一人で帰る事となってしまった。一人ぼっちであの家の前を通るのは心細い…だって何かいるんだもん……そう思いながら帽子の紐を指にかけくるくる回したり途中で泳ぐ蛙の背を眺めたりしてとうとうHさん宅の前まで来た。走って駆け抜けるか、ゆっくりゆっくりそぉっと刺激しないように歩くか。意識すればする程、足が動かなくなる。そろりそろりと不自然に足を踏み出しはじめたら途中で『お嬢ちゃん』と声をかけられた。周りには誰もいない。納屋からだ!!戦慄。たちまち、動けなくなってしまった。

 

顔を動かさず「………はい」とだけ返事をする。『落ちてる柿、拾って』声の主が言う。「……お庭の?」『そう、そこに落ちてる柿』走って逃げても良かった。でもその正体がわかればもうこんなにビクビクせずに済むし、最初に踏み入って悪い事をしたのは私たちだ、という頭もあった。それ以上に好奇心もあったし、ユリくんやキタくんにも今日の事を話せる。子供というのはとても単純だと思う。何かがあっても何も出来ないのに、何かが出来ると考えている。

 

言われた通り落ちている柿を拾って納屋の前に持っていき、校長室や職員室に入る時は失礼します、と言うように!と教えられた言葉を守る。失礼します。ここに置きます。

『僕のごはん』とその人は笑った。私の周りの大人はみんな、俺かワシで、僕というのは子供が使うのだと思っていたのでその事にとても驚いた。この人は大人なのだろうか、子どもなのだろうか。姿はまだ、見えていない。茣蓙の上に投げ出された汚れきった、靴も履かない足の先が見えただけだ。

 

『ひとつあげるし食べて。そんなとこにいないで入ったら?寒いのに』

腹を括る。失礼します。一礼をする。その人は、ボロボロの、とてもボロボロの大人だった。私は立ったままそこにいて、そのボロボロの大人は柿を洗わず拭かずでそのまま食べた。ほとんど歯がなかった。子供心に全てが衝撃だった。果物は洗ってから丁寧に皮をむいて、切り分けられた物が綺麗に盛り付けられ、それらが乗った美しい皿が食卓に並び、それを手でつまもう等とするとお行儀が悪い!と手の甲を叩かれ、鬼のように叱られた。それを、この人は、洗わずの拭かずの切らずの……

 

私はとても内面がお転婆だったのに、親に頷かねばいけない日々を疎ましく感じていた。家柄だとか母と姑の関係だとか子供には一切関係がない。それらを払拭できる機会があるのであれば、が仇となり余計にこうした後先を考えない行動が出来てしまう、というのも確かだった。ちょっとばかり羽目をはずしても、と舌を出すような気持ちで考え、やる事なす事何をしても否定されるのなら本当は私の事なんて可愛くないのかもしれないし…そんな風に思った。ボロボロの大人の隣に座ったら、思った以上に匂いはしなかった。

 

これはちょっと僕には硬い、とずっと言っていた。もっと熟して、落ちた拍子に地面で潰れたような物を探してきて、と言われ、でもそれだと土や虫が…と言ったら、女の子の言いそうな事だと笑われた。少しムッとして途中からだいたいお客さんである私がなんで柿を探さなきゃいけないの!と思いつつ、植え込みに突っ伏して潰れている泥がついた柿を拾った。この汚いのでいい。これが欲しいって言ったのはあの人なんだから。

 

目をあげるとHさん宅の縁側が目の前に迫っていて、長らく開けられていないのか厚めのカーテンが日に焼けて、少し埃っぽく映った。冷たい感じのする家。遠くからみている分にはそこまで感じなかったのに、あの縁側の床はとても冷たくて、家に入ると蛍光灯のツーンとした音が耳にうるさそうだな、と思った。

 

拾った物を届けたらそれをじゅるじゅる言わせながら虫みたいにちゅうちゅうと無我夢中で吸い付くおじさんに聞いてみる。おじさん、お父さんとお母さんは?

 

人には親がいて当然だと思っていた歳だったし、その人が迷子になっていたり一人でいた時にはお父さんかお母さんの存在を尋ねなさいと習っていたので、そのように。そうするとその人はニヤニヤしながら、おじさんにもお父さんいたねー、もう随分前に死んじゃったけどね、と笑った。じゃあお母さんは?と聞くと、お母さん?いるよ、今はここにはいないけどね、ホームっていうとこで暮らしてるからぼくのお姉さんに連れられてたまに帰ってくるね、と言うので、おじさんにはお姉さんもいる、という事がわかった。でもお姉さんは結婚して遠くで暮らしているからほとんど顔を見ない事、家に来るのはおじさんのお母さんをそのホームと呼ばれるところから二 三日連れ帰ってくる時だけだという事、でもおじさんはお姉さんとはあまりお話をしないという事、おじさんのお母さんは自分の中だけで生きているのでもうお話ができそうにないという事も聞いた。おじさんの家はどこなのだろう。気になって、ここなの?と聞いた。

 

おじさんは、おじさんの家はここ、と地ベタを指さし、おじさんのお父さんとお母さんの家はそこ、お姉さんが家にいた時もそこ、と縁側を指さした。なんで家族なのに一緒に住まないの?と聞いたら、おじさんはもう大人だから、と言われた。大人になったら家族じゃなくなるのかな、と思った。話してばかりいるので柿を食べなよ、と勧められる。洗われていない、皮もむかれていない柿なんて到底美味しそうだとは思えなかった。僕にとってきてくれたみたいな熟した柿なら皮も気にならないし虫が好むのもよくわかるよ、という求めていない反対をむいたようなアドバイスも頂いたので、仕方なくそうする事にした。虫や泥は嫌ならとればいいと言うので、食べてもばい菌で死なないかを尋ねたら

 

「人はみんないつか死ぬけどね」

 

と言われた。そういう事を聞きたいのではなかったが、なんとなく、今死んでも探されないだろうな、と思った。自分勝手な事や悪い事をすると地獄に落ちる、とも教わっていたので、私はいまとても勝手な事をしているな、言いつけを破ろうとしている、と考えていた。

 

見つけたじゅるじゅるの柿を持って納屋に戻ったらおじさんは、君は女の子だし可哀想だからと紳士的な姿をみせ、泥やくっついた何かの黒いゴミや蟻を落としてくれた。初めて柿を食べるわけではないがとても緊張した。洗っていない…皮がむかれていない…さっきまで地面に転んでた…お腹痛くなって死んじゃうかもしれない、でもおじさんは生きてるから多分死んだりはしない、ドキドキしながら口に運んだその柿の衝撃的な甘さ!

 

これは飲み物だ!と思える程に甘く美味しく、プリンと舌の上に乗り喉元に流れ込む。普段の柿、あれなんだったんだろう!と感じる衝撃だった。

『おいしーーーーー!!!おじさん、これすごいおいしいね!』

と言うとおじさんは、お嬢ちゃんなら柿とりにきてもいいよ、と言ってくれた。

 

学校でユリくんとキタくんにその話をすると、ユリくんはとても興味を持ったがキタくんは全くだった。人の家の敷地に勝手に入って叱られたという話をお母さんにしたら、もう二度とするなと叱られたんだそうで、厄介ごとはごめんだといった感じだった。ユリくんは興味がありそうだったけれど、お化けじゃなかったのならどうでもいいといった向きで、私だけがたまに柿を取りに行き、学校であった事を話したり、こっそりと父の靴下を箪笥から抜き出しておじさんにお礼としてあげたりしていた。素足はその季節、あまりに寒そうに見えて。それに学校で拾ったどんぐりも。たまには給食で出たパンやヨーグルトを持って帰るとおじさんは喜んで食べた。それが私の食べかけのパンでも、あっという間に食べた。

 

ある時Hさん宅の前を通りかかったよそのお宅のお母さんが私が柿を拾っているのを目撃したらしく母に通達、母は晩御飯の時に急に、私に向かって

『野良に餌をやりなさんな』

と冷たい口調で言った。私は動物が好きなのですぐに持って帰ってしまう。翌朝、いつもいなくなる。父は捨ててこいと母に言われると仕方なく山に返しに行き、その役が苦痛だからやめて欲しいと私に言った。面倒だから、ではなくて、このような形しか選べないとサヨナラをする時がとても痛いんだ、と言ったので、それは可哀想だと感じ、持ち帰るのも餌をやる事もやめた。

 

母の言う言葉に何のことだろう、と思った。思い当たる節がない。猫ちゃんみつけてないよ?犬も鳥も見つけてないし、カマキリだけは…卵が面白いから…と告げると母は父に向かい

 

「この子、Hさんとこで柿拾ってたって!あそこの子、もういい歳だけどすっかり姿みせなくなったと思ったら、家で飼い犬みたいな事になっててちょっと問題あるから誰か市に相談すればいいのにね。何しでかすか、わかったもんじゃない。こんな小さい子、招きいれて。昔っからちょっと足りないとは言われてたけどさ。」

 

この話を聞き、父は激怒した。母にではなく私にだ。何かあったらどうするんだ、と。何かのなにもが思い当たらなかったので、ただお話をしたり柿を食べてるだけだよ?と言ってみたのだが、何かあってからでは遅い、と言った。洗わずに、皮もむかず、地べたに落ちた腐りかけの柿なんか食べて死んだらどうするんだ、という事なんだろうと考え、柿は食べないからたまに遊びにいってもいい?お友達になったの、と言ったら更に激怒された。

 

折り紙の裏に手紙を書いた。登校班から少し離れ最後尾に並び、納屋の前に置いた。手紙には、友達は多い方がいいと言いながら友達が出来ると怒る大人への矛盾点を責め立てて、うちの親は怖いからおじさんが叱られると可哀想なのでもう会えないけど、帰りに寄った目印に葉っぱや給食の残りを置いておくね、と書いた。

 

数日がそうして過ぎて行き、もう柿も実らない冬に突入した。おじさんは寒くないだろうか、前を通る度にそう思い、学校へ出向く時に母が長靴に入れてくれるカイロを取り出して置いて来たりもした。雪が積もっても溶けても、おじさんと私の距離は変わらなかった。歩行者用の道路から垣根に隔てられたまま、私だけが繰り出す行為により、私たちの友達関係は続いた。オレンジ色の裸電気が煌々とついていると安心した。暫くして電気がつかなくなった。

 

おじさんはきっと家に入れてもらえたのだろうと思い、手紙を置くのも何もかもをやめて、ただの"柿友との思い出"として形を変えようとしていた頃、秋が来る気配があった。また柿が実り始めるから取りに行けるなぁ、おじさんは私なら構わないと言ってくれていたからおうちの人に見つかってもきっと庇ってくれるはずだ。そう思っていたら、夏の間にHさん宅は買い手がつかなかったら取り壊されるらしいわよ、と母がご飯時に言った。

 

思わず「えっ!」と声が出た。

家には誰もいなくなったのかと聞いたら、顔色ひとつかえずに

 

『お母さんは亡くなったし、あんたにほら…ちょっかい出してたあのちょっとおかしな息子も納屋で死んでたって。どんぐりで、ありがとうって書いて、その横に黒い靴下置いてあったって。頭が足りない子に生まれちゃうと、可哀想よね』

 

と言った。その物言いに何だか今までに感じた事のないような怒りが湧いて、とてもとても腹が立ち、私は大人になってもいまだ少し、虫の居所が悪くなる瞬間には口の中に甘くて甘くてどうしようもないような柿の汁の味を感じる。でもそれを感じ始めると同時に、急速に気分が穏やかに戻っていく感覚も覚える。怒っても仕方がない、それにはその人の生きる世界もあって、その人の窓からしか見えていない世界からの暴言を、私は甘い汁と共に飲み下す。おじさんは、人はいつか死ぬ、と言っていた。

 

私は朝から丁寧に、柿の皮をむいてその熟した命を喰らう。私は美味しい柿の食べ方も物の眺め方もそれら色々を、柿の色に感じながら味わい、今日の朝を迎える。