聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第四章 vol,2

長女が生まれて初めて迎える新年の事だ。主人の実家に初孫のお披露目に行った。雪がよく積もる地域で東京から訪れると震えあがるような寒さだ。あれから何年たっても、こんな時期に来るんじゃなかったと後悔するような、そんな寒さがある。

 

新年を迎える前に入り、数日を過ごして東京に帰る。戻ってきた事を色んな家に伝えに行った。田舎の家は面白いもので、戻ってきました、と伝えるとすぐに、あがねんぇあがんねぇ、と中に通す。そのまま居間に行くのかと思いきや、どの家に立ち寄っても仏間へ先に顔を出す。よく存じ上げない方々だけれど、私も同じく、手を合わせる。

 

"生前は主人がお世話になったようで"

そんな感じだ。届くか届かぬのかはわからないが、届く声があるのなら届いて欲しい。

あるお宅に立ち寄った時の事だった。主人がこそこそと言う。

「お前が夢でみた爺さんって、あの爺さんじゃなかったか?」

仏間にずらりかけられている遺影を眺める。

「!」

あの人だ。間違いない。あの人ではないか!お久しぶりです!驚いた。そこにはその顔があった。

 

『なんであの人の時計持ってたの?』

主人に聞くと、自分の家が山のてっぺんだったので学校が終わったら山のふもとのその家で待たせて頂いていて、親よりも沢山同じ時間を過ごした人だ、と言った。誰かに大切にされる、羨ましい話だった。私にはそうした事は無縁だ。ありがとう、と頭を下げた。帰ります、と言って立ち上がり振り向いた時に、雪がやんだら押すかもしれない車から降ろしたベビーカーがその家の土間に立てかけてあった。青かった。青い!

腰を抜かしそうだった。青いのだ。あの日の夢でも青かった。今は現実に青い。

 

帰りの車の中で「うちのベビーカーは青だね!青いね!」とずっと口にした。それがなんだ、と言った感じの主人。色が、知らぬ間に、戻り始めていた。世界の色を失ってから3年目の春の事。沢山の色はまだ識別がつかなかったけれど、そのベビーカーは購入した時よりも私の目に、確かに青かった。嬉しかった。

 

その年、主人の母は指に包帯を巻いていた。どうしたのかを聞いたら、たいした事はないが台所に立っていてやけどをしたんだという。水ぶくれが出来ていて潰れて膿んだら大変だから、そう言った。外が寒いから包帯を外しておいた方が蒸れずに済みそうなのに、と思った。乾燥させないように、油でも塗って風通しのよい方がいいですよ、と言ったら、よく知っている、看護婦さんみたいだ、と言われた。あなたよりも重体の患者を相手にしたからだ、とぽっと思った。だからどうだという事はない。ただ知っている、それだけ。

 

年があけて里帰りしてくる人も増えて、一度立ち寄ったお宅にもまた顔を出した。上のお姉ちゃんが、お兄ちゃんが帰ってきている、そうした連絡がくるとすぐにまた挨拶に行く。戻ったのにすぐに友達と初詣に行こうとするお姉さんは正月にふさわしい着物を来て、お客さんだから、と仕方なくその場に居座った。

(あんたらとりあえず仏壇に手ぇあわせてきねぇ。どっかに出かけるんじゃったらそれからじゃで)

家の人はそう言った。お姉さんはお友達を待たせているのか、私の前で正座して早く出かけたいというように体を捻った。私は手をあわしつつ、またあの日のように相手の足の先を見つ………

 

(これだ!!!)

 

そう思った。あの日、何故、目の前に並んでいた亮介の親が足を崩していたのか。父親の方の靴下の先は湿っていたし、母親の方の足袋の先は畳の色が落ちたのか青いような黄色いような蛍光に近い緑色だった。増改築されて新しくなったその家の仏間の畳はまだまだ青々とした香りを漂わせていたが、お姉さんの足袋の裏は美しいままだった。

 

主人の母が、やけどが膿んだら困るけぇ、と言ったのだ。あれは、あの緑はどこかで見た緑。亮介の体だ。亮介の体の皮膚のなくなった部分はそれでも新しく再生をしようとし、白いブヨブヨとした何かをつけた部分があって、同じように黄色や蛍光の緑色のような場所もあった。二人は足の裏をやけどしていたのだ。だから正座できなかった。

 

本人の足の裏のやけどは認められていない。免れた1%ずつに入った。両足の裏で2%。焼けずに残った部分だった。本人の足跡が畳についていたとしたら、靴のままであろうとわざわざ玄関で靴を脱いで仏間にマッチを取りに上がったのであろうと、火をつけた場所、そこが地面で周りにもオイルがあった場合、地面だって燃えているはずだ。何より畳に足跡がつく程本人の足はその液体を吸っている。

 

圭吾に電話した。覚えているか、と聞いた。新年の挨拶の方がついでになってしまうような始末だった。圭吾はおじさんやおばさんは消すときにやけどしたから歩きづらいと言っていた、という事は覚えていた。足の裏は地面に触れる。その地面に何もなければ空気が通らなくなる。だからやけどはしないはずだ。消す時に足も使ったのか?火にまかれる人間を蹴り飛ばしでもしたのだろうか。それならば足は空を蹴るのであり得なくもない。二人の足がもし、そのオイルに初めからまみれていたとしたら?

 

疑念がずっと消えない。何故、畳を隠すように処分したのか。その時の事を想像すると恐ろしくて今になっても震えが出る。あんなに酷い人間でも、そうでなければいい、と願う。そうでなければいい。あなた達が亮介を愛さなければ、誰が愛してやるのだ。私が急に登場したから、私に息子を取られた気分になって憎たらしくて私を罵った、そうであって欲しい。そうであって欲しい。第三者に依頼した、それでもいい。もう戻ってこないのであればそれでもいい。でも、きっと、そうじゃない。

 

何故か。

 

私の願いはいつも、叶わないし、届かないからだ。