聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第二章 vol,18

亮介の待つ家に戻る前に黒い服の上下を駅前で購入した。喪服なんて買う気にもならないし、買ったら色々認める事になるし、元々黒なんか着るような、持つような、そんなタイプでもない。何でもよかったし、どれでもよかった。どうせ一回着たら捨てる。見た目なんぞ、もうどうでもよい。私はもうギリギリの淵に立っている。これが終わったら何がどうなるのかも何も考えたくないし、泣きたいけれど笑いだしそうな、自分の意思と行動がかみあわない不思議な気分だった。途中から"これは現実ではなくて私は夢を見ているんだと過ごしてみたらどうなんだろうな"と思った。いつ覚めるともわからない夢を永遠に見ながら生きていくのはどうか。ちょっと楽しすぎる。現実離れしているだろうか?そもそもこれ、現実なの?今日ってあれから何日たったの?亮介に黒い服を買わされた。私は黒はあまり着ない。それだって、亮介が私より若いからだよ?知ってるでしょ?落ち着いた格好すると歳くって見えるじゃん。私の選択はいつも私の問題じゃない。何かがあるからそれにあわせる、そうしたものだ。

 

『ねーちゃん。ねーちゃん、ほら、すすむよ?いこ』

「!」

驚いた。若い亮介が高校の制服を着て立っていて、私の袖をキュッと引っ張る。

 

『ねーちゃんの事、俺、にーちゃんから聞いてた。にーちゃん初めて俺に女の話した』

そっくりだった。本当にそっくりでしばらく見とれた。彼は亮介のいとこで、実の弟よりもよく似ていた。

「亮介かと思った……すごい、亮介が…若くなった!!」

圭吾は一瞬とても心配そうな顔をして、誰もが皆現実とは受け止められずにいたその中でも、私の症状が一番ひどくて、でもそれも仕方がない、と理解したような様子で少し慰めるように笑ってから

『よく言われるよ、昔から。あんたたちそっくりねって、よく言われる』

と言った。東京に連れて帰ろうかと思ったほどだ。誘拐でつかまるかもしれない。

 

仏間にお坊さんがきて、まだ青い畳の上、皆で正座して話を聞く。途中でこれは何の会なのか解らなくて周りの顔をチラチラみた。私こんなとこで何やってるんだろう。。

前に亮介の親が座った。彼らは正座していなかった。足を少し崩した女座りっぽい恰好で、中途半端に斜めに座るので前に並んだ足の裏だけをじっとみていたら、父親の黒い靴下の先端の方はじっとりと濡れたような色をしていて、母親の方は新しい畳の色が落ちたのか、白足袋が青いような、黄色いような蛍光の緑色みたいな色をしていて、大事な場所の大事な時間のはずなのにこいつらはまともに正座もしない、現実を完全に無視した妄想に生きている生臭くて気味悪い虫みたいだ…と思っていた。

 

会場に移動するとなって立ち上がろうとしたら寝不足と貧血とで少しよろけてしまい、よろけた様を「演技なんかして!」と亮介の母が罵り始めて、私がすみませんと謝っていたら、さっさと東京に帰ればいいのにどんな気分でここにいるの、と責め立て始め、これには坊主もあまりのひどさに怒り気味で説法をし始めた。人の子にない奴にまで、説法など聞かせなければならない坊主って仕事も大変だな…と思うくらいにはもう痛みの感覚がマヒしていて、私の中には私はいなかった。しかしその時にそのお坊さんは

 

『自害の形にも色々ありますが、自害の仕方で伝わるものが変わってきます。昔から、焼身という方法を選ぶ時は何かとても訴えたい、命に代えてでも訴えたい事がある時にそれを選ぶと言われています。あなた方は彼の死からそれらを学ばなければならない。彼が望んだのは言い争いではないはずですよ』

 

坊主の言葉は私には色んな意味で届いたし響いたし心を揺らしたが、人の子ではない者には届かなかったらしく、文字通り、袈裟まで憎そうな目を向けただけだった。私の中には素直に疑問としてひっかかる部分があった。事故ではなかったのか?自殺なの?事故であれば坊主が私たちに、命に代えてまで訴えたい事があった、等と説法する必要はなかった。自殺だったとしたら、その説法は意味がある。でもそうだったとしたら、何故逃げなかったの?何故、私を思い浮かべなかったの?疲れてしまった?薬を中途半端に断薬する形になっていたから、突発的に、衝動的に…?色々が、解らなかった。

 

死亡報告書には事故としてあげられていた。でも、現実には、亮介の両親は周りに自殺と伝えている事が解った。理由は私だ。私がしつこく彼につきまとい、彼は別れたかったのに別れて貰えず、手切れ金話で私に脅されて、自殺。私は今後、亮介の友人や周囲に会えないだろう。ここにも来られない。亮介がこの世から本当に消えてしまったら、私たちは永遠に引き離されるのだ。

 

事実、あれから今日まで多くの人が誤解したままで時が過ぎた。色んな人に散々言われた。私は追いつめた酷い人間だったし、彼は私から逃げたくて気を病み自殺した。捨てられた女が、人を死ぬほど追いつめたのに自分はまだ愛されていたと思っている。あの女は完全に狂っている。男も男だ。女に言い寄られた程度で別れられないからって自殺するなんて、弱すぎる、私たちはずっと誤解されたまま今日を生きている。

 

仲の良かった友達にさえ

「でも結局自殺したって事はあんたを置いて自分だけ逃げたんじゃん。忘れなよ」

と言われた時には、私はよくても死人に口なし、冒涜は許さない、と何年も続いた縁を簡単に切った。私はいまだに亮介の事を悪く言われると手がつけられない。当然の事のように相手に逃げ場を与えないほどに、追い込む。

 

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あの日。葬儀が終わったら永遠に会えなくなる、ずっと、そんな不安の中ずっと、葬儀場まで歩き、あまりに足元が地を掴まずでフワフワと薄汚れたピンク色の絨毯を滑るように踏んだ。あまりに酷い。あまりに酷い仕打ちだった。度重なる仕打ちと疲労とで頭もまともに働かなかった。奥の部屋でギリギリまで葬儀の打ち合わせが行われていて、三谷君たちも挨拶に入るかどうかという話になっている時、葬儀場に流す曲を決める時間があった。私はどうしても、そこだけはどうしてもお願いします、と、ピンクの絨毯の上に土下座した。

私に選ばせて下さい、お願いします。

それでもう、彼とは本当に、永遠に、サヨナラだ。

 

選んだのは私が眠っている間、亮介がずっとかけてくれたあの曲。葬儀が始まる時と終わる時、その曲が葬儀場一杯に流れる。笑っていられるだろうか。自信はなかった。それでも少しだけ、離れていても最後だけ、気持ちだけでも二人きりになりたかった。あの蒸し暑い夕闇のうちわがたてた緩い風。頬に触れた、亮介の指。私たちはそんなに、人に責められるような、そんなにひどい恋をしただろうか。

 

ただ少し、葬儀中に亮介が怒ったような瞬間があった。愚かな人間はやはり、どこまでいっても愚かで、喪主の挨拶の時に張り切って前に出た父親は亮介を紹介する際

"亮介は大変真面目な人間で同級生が恋や遊びにかまけている中、独りだけ勉強しているような真面目さを持ち、ロックなどは好まずクラシックを愛し…"

と本人ではなく理想の他人語りを始めてしまい"一切自分の事を認めてはくれない"と遥か昔から聞かされていた亮介の釜めし会仲間の内の何人かは、その理解なき姿の片鱗を見せつけられとうとう黙ってはいられなくなったようで、途中からヤジを飛ばし始めた。友達は、やはり友達である。亮介の言葉は信じても、友の嫌う友達でもなんでもない親の言葉を鵜呑みにする程バカじゃない。

 

(なんかもう聞いてらんねぇなw)(亮介よく頑張ったよな…)(あのおっさん一体誰の話してんだ?)(彼女に対する態度もひどすぎんだろ…)(亮介が初めて愛した人だよ可哀想に)

そんな言葉で会場がざわつき始め、半数は途中で帰ってしまった。葬儀の真っ最中から人がいなくなるなんて前代未聞だ。最後まで送ってやりたかったけど、あいつがバカにされてる気分であの場にいられなかった、と教えてくれた声もあった。

 

亮介はああした上っ面だけの物を心底嫌ったので、きっと怒っちゃったに違いないと思ったらおかしくておかしくて、亮介らしさにどうしても笑いが漏れた。あの辺りからだと思う。私はいつも隣に彼を感じるようになった。私の中の基準が全て彼になった。あの人ならこうするだろう、こういうだろう、それは今も変わっていない。

 

その後、AMラジオの番組の一部を聞かされているかのような、お悔やみ電報のコーナー!があり、その中になんと毛深い女からの電報があり、読み上げられた。

 

"亮介くんの訃報をお母様よりお知らせ頂き、今でも信じられない気分でいます。留学先のスコットランドの空の下、心の中で手をあわせています。"以下、英文。

 

亮介が聞いていたらなんと言っただろう。調子のってんな、糞ビッチがwwと言って一蹴した事だろう。

 

(亮介、あんなののどこが良かったの?自分の留学先の下りとか、いるー?亮介日本人なのにあの英文なんなのーwクリスチャンじゃあるまいしーw)

(よくなかったから別れたんでしょ何言ってんの、みゆちゃんはwあいつはああいう奴なのー!!うちの母親とツーツーだったてのにもちょっと驚いたけど、まぁ仲良くできるんだから、その程度ってなw)

 

心の中でお話して、その肩がもたれかかり

 

(ねぇずっと隣にいてよね)

(言われないでもそうするつもりだったけど?ww)

そんなノリの、そんな時の二人のままでずっと居よう、そう思った。

 

火葬場への出棺の時には皆が最後顔をみせて欲しいと棺の周りに近寄らせて頂けたが私はずっと離れたところにいた。彼らより、誰よりも、その体の隅々を知っているのは私なのに。私だったはずなのに。この世にあった肉体にはもう触れさせては貰えなかった。眺める事も。

 

大きな重たい鉄の扉が閉まったら、また火に焙られ、何度燃やすの…あれだけ苦しんだのにこいつら何考えてんの、と怒りしか湧いてこなかったので、外のベンチで緑の山に亮介の煙が上がっていくのを見て、やっぱり瞬きも忘れ、じぃっとそれを見ていた。ひたすら見ていた。亮介は煙草の煙を指で弄ぶのが好きだった。だから途中で邪魔をしてやった事もある。

 

山肌を抜けて空に消えていく途中、鳶か鷹だか、何かの鳥がくるくると弧を描き回っている間を煙がやっぱり邪魔をして、ちょっとーやめてやんなよー遊んでんのにー、と心の中で話しかけてはふふふと気が緩んだり、でも隣にはいないんだよなー…と思うと泣けてきたりでどうしようもなく過ごしていたら、ミニ亮介の圭吾が隣に座ってくれた。

 

私が

『亮介、会場にいたよねw花のとこ、座ってたの、私みたけど。あの葬儀に嫌気さしてたみたいwめちゃくちゃ怖い顔して煙草すってたわw』

「にーちゃんらしいww」

『あの喪主の挨拶って、結局、誰の話だったの?』

「あれはさすがに俺もどーかなと思った…w」

 山は本当に緑色の大きなただの塊で、自然も何もかもがバカバカしく感じた。この世の全てがバカバカしくて仕方なかった。何も考えたくなかった。何も。

 

亮介が骨だけになり箸渡しが始まった時、私の隣が運悪く亮介の母で、何度か私の前を素通りし、私の隣の方へ渡した。私の中の妄想では今すぐにこの箸を首根っこに突き立てる、そんな事ばかりだったけれど、人の体の悪かった部分があればその傍を走る骨は変色すると聞いた事があり、亮介の右の骨盤辺りがピンク色で、あぁなんか可愛らしいな…始まったばかりの頃のフラミンゴみたいな色だ、色んな物がこの世にはあるのに大切な人の形がなくなるなんてなんだか信じられないな、本当はトイレにでも行っていておまたせおまたせって後ろから抱き着いて、はぁ~みゆちぁあああん♡と言いそうな気がして何回も何回も後ろを振り返った。今でも時々、あれから15年たっても、たまに後ろからどぁっと乗っかるあの重さがありそうで、あの声があるような気がして、私はよく振り返る。電柱から電柱の、じゃんけんで背負った時の重さ、笑い声。私の肩口から伸びて、耳元で鳴る亮介のブレスレットのチャリリとした音。

 

その後、亮介は小さな白い箱に入れられてしまい、私たちはバスに乗せられて知らない街を走った。夕日が眩しくてまっすぐ前も見ていられずにこの世の自然全てに疎ましさと疲れとを感じていたら誰かが気をきかせて下さり、私の膝に亮介が乗ってきた。バスが彼らの通った学校に乗り上げて、一緒に乗っていた亮介の釜めし会のメンバーたちも久しぶりに訪れるらしく、懐かしいな…ここのさ…と口々に話し始めた。私はその間、亮介と二人きりで周りの声も耳に入らずで

(亮介小さくなったねー、そこにいたら亮介の赤ちゃんの心臓の音、聞こえるかもね)

彼が私の膝で、自分の子の心音を聞いているような感覚になり亮介の髪を撫でるように、白い箱を撫でていた。

(亮介、小さくなったねー。)

校舎にさしかかる坂道は夕日が差し込んでいて、眩しくて、掌をかざし、陽をよけて、みゆちゃん眩しいのほんと苦手なwなんて笑う声ももう聞こえずで、私を引き寄せる手もなくて、ただ真っ白な箱を抱いたまま、知らない街の景色を独りで眺めた。本当は、見られるとしたら、三人だったはずだ。三人でこの景色を見たかった。山は青く、夕日はオレンジで、私は瞬きも忘れて、目を開きっぱなしだったので、目の表面は乾燥し、涙も流れなかった。

 

家に戻って口数も少なく、何人かずつに分かれて配られていた精進落としを食べた。何の味もしない。何の味もしない。炊かれたなんの味もしない椎茸が歯切れも悪く、口の中に残った。その時の事だった。皆、下の階にいた。それなのに誰もいるはずのない二階から階段をかけ降りる音が派手に響き渡り、皆で一斉に階段の方に注目した。階段を降り切った突き当りには風呂場があり、誰も何もしていないのに扉がバーン!とあいて、風呂場の水がザーザーと音を立てて流れ始めた。葬儀に来ていた中学生の男の子はパニックになり泣き始め、皆が唖然としている中、私だけ食が進んだ。いる。いるのだ!亮介がいた。亮介最高だ!いたよね、今いたよね、帰ろうよ東京に!

こんな時に飯が食えるなんてあの女はなんなんだ、亮介の親はそう思っただろう。私だけは嬉しかった。誰かが言った。"熱かったのだろう"

生きる人間はいい。痛みも知らず、熱かったのだろう。フンッと鼻で笑って、何の味もしない飯をひたすら食べた。喉に詰まって死ねればいい。

 

ミニ亮介が私の後ろをじぃっと見ている。穴が開く程にじぃっと見ていた。私もそれにあわせて目線を移動させたら実に大きく立派なカマキリが私の後ろの網戸に止まっていた。中に入れてやり、机の上においてあげると、こちらが動くのに合わせ頭がとれそうにこちらを凝視しては前足を擦りあわせて拝んでいた。祈っていた。だから私も手を合わせた。同じタイミングで皆が各々、色々なところに今回の連絡をしていたのだが、どの先からも

「今、うちの網戸にも…目の前にカマキリがいます」

そうした返事を頂いた。カマキリの英名の語源はギリシャ語で予言する者、と呼ばれており、祈りを捧げる姿に似ている事から拝み虫とも呼ばれる。あんなにも表裏ある虫も珍しく、一方では鎌を持ち、生きている者だけを捕食する。私と圭吾は今でも、あの時のカマキリはどうしているのかな、という話をよくする。あれは亮介だったと今でも信じている。虫の知らせ、という言葉がある。彼は、ずっと祈っている。願っている。私の幸せを。それともそれは蟷螂の斧というものだろうか。守ってやりたかったのに、あまりに無力で申し訳なかったと手をすり合わせる、そんな真似をあなたはしないでよい。あなたが今も願う事、それがなんなのかに気づいたのはここ数年の事だ。虫の知らせで。