聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第二章 vol,8

毎日暑い日が続き、少し通常体制を崩した亮介の元には毎日親からの連絡が入った。

 

「大反対を受けている模様です…」と遠藤さんに言うと、学歴だとか家柄だとかそんなだいじなもんかね?やっぱいっちょあんたら海外逃亡でもかましてさ、そんなもんは糞くらえだバーカバーカ!って生きていった方がよくない?ちったぁ子離れしろよなぁ~親も~!あんたー彼はもう立派な大人なんだからー…と、ご尤もですよ!遠藤さん!な事を口にした。

 

「私ももうそれでいいと思うんすけどねーwなんせ具合が悪い!!彼の具合が悪い!そこまでして戦う必要ある~?反対されたら逃げちゃおう!でいい気もするんだけどなぁ~」

 

と言っていたら遠藤さんが

『彼がそこまでするって事に意味があるのかもよ?』

と言った。意味、かぁ…意味なぁ…。

 

仕事から戻ったら、家にはない緑色の大判のバスタオルの横で亮介がぼけーっと煙草を吸っていて、灰はエアコンの風で煽られて散乱しているし、カーテンはひきっぱなしで煙たいしで、ありゃりゃあ、片づけようぜー、大変な事になってるじゃん~と刺激しないようにバタバタと動いた。

 

(私も疲れてるんだよ!)とは、言えなかった。

 

「このでっかいバスタオル、どしたの?出かけてたの?」

と弱めに尋ねる。PCに突っ込んだmp3が上から下までいってまたそれをリバースして、この人今日これ何回目にきくんだろう?と思うほど、部屋の空気が単調だった。

 

『人と寝てきた』

 

………。なんと返せばいい。なんと返せばいいのだ。何も言えなかったので、知らない顔をしてビールとイカの刺身を冷蔵庫に取りに行った。隣で開けて、イカの刺身もぐもぐ……なんの味もしない…助けて遠藤さん…こういう時わたしはなんて言えばいいのかな…?

 

「そう」

一言だけ返した。

『そうってなに?』

と聞かれた。

「そう、って思ったから、そう、だよ」

顔が見られなかった。

 

メッセンジャーでずっと前から話してた人がいて、その人、癌なんだって。で、病院から家に戻れる日があって、私死ぬかもしれないからって言うんだよね。だから会ったら、話してる間は勝手に、ずっと、亮介君の事、自分の彼氏みたいに思ってた、もう会えなくなっちゃうかもしれないから抱いてほしいって言われて、それで、ねた。』

 

「そっかぁ…それって人助けなの?自傷なの?どっちなのw」

私の方もギリギリだった。そんな嘘か本当かわからないような話で私を傷つける方を選ぶような人ではない、と解っていただけに、これは自傷だ、と思った瞬間、とんでもなく腹がたったのも事実だ。これだけ、精神状態や二人の関係を、よくなりたい、よくさせたい、と努力して一緒に考えているのに、お前はいったいどうなりたいんだ、と腹が立った。相手が好きだからそうなった、なら、それは個人の自由だけれど、この場合はそうではない。そこに猛烈に腹が立った。

 

『さぁ?』

煙草を深く吸い込んで長く吐き出す。またも、沈黙。

 

「で、何?そのバスタオル、記念品なの?」

と聞いたら、こんなでかいシーツみたいなタオル、みた事なかったから持って帰っただけ、と言った。

 

『まあ、寝たっていってもね。みゆちゃんでしか俺のは反応しないから、結局相手をいかしただけ』

「やめてよ。刺身がまずくなる。そんな深いところまで説明しなくてもいいよ」

『嫌いになった?』

「…そうして欲しい?」

 

間を、不似合いなバカみたいにうるさい曲が埋める。

「私出かけてこよっかなー。煙草も、もうきれかけてるし」

『ほかの男んとこ、行くの?』

 

数日こちらもすこぶる体調がすぐれなかった。どちらかが悩むと、それは伝染する。外に出て一人で煙草でもふかしてちょっとのんびりしたかっただけだ。この状況は息が詰まる。

 

「喧嘩売らないでよ。だいたいなんなのよ。親が反対してんなら、もう放っとけばいいじゃん。反対されたら反対されたで考えようって言ったよね??なーんも言ってくれないし、反対されてるってのは解ったけど、それ以外なにがあんの?いいじゃない、別に。言いたいように言わせとけば。嫌われたいわけ?なに?」

 

と言ったら口より先に亮介の手がイカの刺身を壁に投げつけた。ペチャっという水っぽい音がして、しばらくそこで時間をとめて、ペロリンと剥がれ床に落ちた。

 

『毎日電話あんだよね。でもさ、思ったの。みゆちゃん、家族いないじゃん?一縷の望みだとしても、もしかしたらあれだよ…今まで色々と言いなりになってきて、自分の気持ちって、俺、向こうに投げた事ねーんだよ。ここで向こうがわかってくれたらさ、みゆちゃんには家族が増えるじゃん?孫だって出来たらあいつら納得するかもしれないじゃん?今まで俺の方が逃げてたのかもなって思いなおして、毎日毎日、負けてたまるかと思って戦ってたんだよ。そしたらまぁ、向こうは言いたい放題で…。

 

最近はこいつらにはもう何言っても無理だってのは理解したから、もうお前らなんかいるか、と思って離縁するって言ってやったのね。駆け落ちするって。そしたら今度はみゆちゃんの事、悪く言いだして……俺それには本当に納得いかないから、そこは違う、そこも違うって、ものすごい言い返してんだけど

 

でも、途中で、みゆちゃんがこんな悪く言われるんなら、俺消えちゃった方がみゆちゃんの為なのかもなーって思って、そんで…』

 

嫌われるような事をわざとした、と。なるほどー。なるほどねえぇー。でも離縁する!なんて言ったんだ、えらいじゃん!という事と、強くなったねぇ!という驚きと、私のイカがー、という事とで、もう頭がぐちゃぐちゃだった。

 

「私ぜんぜん気にしてないよ?悪く言われても別に平気。だから結婚とかそういうの、ないなってさけてきたし…」

口にして泣きそうになった。そうなのだ。家族の事は誰にとってもいつまでもついて回る。選べない環境だったとしても、良くも悪くもずっとついて回る。私はそれが怖かったのだ。好きな人が家族からの反対をうける、選べた事でもないのに私はたちまち慰み者になる、そういう私を相手が面倒になってしまう…

 

亮介は違った。私が悪く言われる事を許そうとしなかった。それだけは訂正しろと物凄い勢いだったらしい。やるじゃん、亮介…。そうか、そんな彼がそこにいたのだなと思い返すと泣いてしまう。

 

次の日、私はイカにあたった。美味しくなかったはずだ。体調のすぐれない時に生ものなんて食べてはいけない。遠藤さんに電話したら、イカくせぇ奴だな、と笑われた。水くせぇ奴だな、は言われた事があっても、イカくせぇ奴だとは言われた事はない。

 

ここ数日が鬼のようだったので、私は休むと宣言した。

もう離縁するといった手前、仕送りはなくなるはずだし、あっても受け取るつもりはないから家庭教師のバイトに行くんだといった亮介は、鏡の前でどっちの服がいいかを選んでいて、茶色のパーカーの方、と突っ伏した私が言うと、間違いなさそうにそちらを着て、いってくるね、と黄色い自転車にまたがった。

 

行先はいつもの生徒さん親子宅で、今回が最後だからちょっとだけ遅くなるよと言った。ご家族の事情でお引越しなさるらしく、亮介先生には大変お世話になったから晩御飯をご馳走したいと言われた、との事だった。

 

送ってあげるね、と道のこっち側から亮介の漕ぐ自転車姿を見送った。大通りに面する手前でこちらを振り向いて手を振った亮介に、何かとんでもなく嫌な予感がし、部屋に戻って嫌な胸騒ぎのまま

 

出来る限り早く帰ってきて。

 

とメールを入れた。体が震えて、ものすごく吐いた。イカ恐ろしい子