聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第三章 vol,9

遠藤さんは以前とは違う場所に住んでいた。一年、といっても人にはやっぱりそれぞれの変化があって、知らぬ間に色々が進んでいくのだから何かが成長するなんてすぐだ。

『ひさしぶりー!』

「ひさしぶりー!」

初めて降りた都内の駅、遠藤さんの家の最寄、そばの公園で抱き合う。

『一年どうしてた?元気してた?』

と問うと、遠藤さんは

「あんたがいないからまーーーったく、楽しくなかった。あんまりに楽しくなさ過ぎて、仕事辞めた」

と言った。

『え!辞めたの!え!遠藤さんがいなくなってあの現場回るの?』

「知らないよそんな事w社長がなんとかするでしょ。私じゃなくても誰が入ったって回るもんは回るわよw」

あー。

『仕事辞めてどうしてんの?』

「んー?翻訳の会社に入った」

『すっごい!おめでとう!着実な歩み!えらい!』

 

「ところであんたこそどうしてたのwwまさか生きてたなんてww」

『それよ。死のうと思ってたのに何でかこう…助かっちゃうんだよねぇw』

「それは亮介君がさせないでしょーよ」

『ねーw』

「ねーじゃないよ。で?なんかあんでしょうよ。なんかあるから来たんでしょーよ」

『んー?顔見たかっただけだよ。どうしてるかなーと思って。』

「嘘つけよ」

嘘だった。亮介の事を聞いたから、と、死ぬかもしれないから会いに来た。

 

『色々、あったんだよね…あれから。何から話すべきなのかわかんないけど、とりあえず昨日の話。聞いてくれる?昨日ね、圭吾と話したの。』

圭吾との話の内容を伝えた。遠藤さんはあまり驚かなかった。

「で、どうするの。」

『どうもできない…どうもできないけど、伝えに来たの。』

「わかってた事だけどね。自分から死ぬわけないじゃんwなんであんたがいない日にそんな上手に事故だか自殺だかが起きるよw」

あ。

『え、待って。まってまってまって。という事は?』

「あんたの留守電聞いたのは亮介君じゃなくて別の誰か」

『ああああああああーーーーーーーあ!あー!なるほ…天才じゃん遠藤さん!』

「あんた正気じゃなかっただけでしょ」

『じゃあ遠藤さん的には?今回の事って、どう思う?』

「99%他殺」

『微妙な数字!残り1%は?』

「親が寄こした第三者の存在」

『でもそれって100%!』

「初めから信じちゃいない、だからあんたにあった事起きた事全部詳細に書いとけって言ったのよ」

『ああああーーー完全にはめられたじゃん!』

「あんたを近寄らせたくなかった理由はあんたが一番そばにいたからだろうねw」

『やばいやばいやばい。やばいねーそれ。殺したい。今すぐw』

「やめときなー??あんたが憎いやつ殺したって、亮介君は戻らないし、手が汚れるだけだ。まぁその前に亮介君がさせないよw」

 

『私、もうなんもかも失くしちゃって…亮介も自分も二人の子供も。バカだったなぁ…バカだ』

遠藤さんは止まった。そうだった。私は遠藤さんに妊娠していたとは伝えていなかった。

 

「いたの!?どうしたの!?」

『流れたよ。殺せなかった。殺せなかったから、仕向けた…』

遠藤さんは私を抱きしめた。

「あ…それであれか…それで吐いてたのか。チクショー…勘が悪いなぁ私は!」

『伝えようと思ってたんだよ。14日に帰って来るって言った。だから本人に伝えてから周りに言おうとしてたの。でも帰ってこなかった。だから誰にも言えなかった。』

「…なんで1年ぶりにあってこんな悔しい思いさせるわけ?」

遠藤さんは少し泣いてた。

 

『もう、終わった事だよ。全部終わった事だからwでも、ありがとうね。いっつも心配してくれた。これ以上心配かけられないって思ったよ。だから居なくなったの。もうどうなっても構わないって思ってたし』

「私以上に悔しい思いしたり悲しい思いしたり心配してたのって亮介君だと思うぞ?」

『かもね。そいえば、こないだマサトにばったり会ったの』

「でたー!ま~君じゃん!元気だった?w」

『相変わらずのw男前ww結婚しようって』

「は?」

『結婚しようってさw』

「いや聞こえてるよ。二回も言うなよw」

『だって聞いたじゃんかw聞かれたら言うでしょうよw』

「あんたなんて言ったの?」

『なんも?聞かなかった事にしたw』

「なんでー。いい話じゃんー?ずっと好きだったじゃん。ここはもう何もなかったって事にして幸せになってくれた方がみんな安心するよ。もうそれが一番いいよ!」

『もう、そんな情熱がない…男はいいや……遠藤さんは?彼氏できたの?』

「できた」

ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!一番の驚きだった。というと遠藤さんに失礼だが。

 

『どんな人どんな人どんな人!ねぇどんな人!結婚する!?!?結婚しよ?』

「なんなのその次がねぇぞ!みたいな言い方ww」

『だって。遠藤さんを幸せにしてくれるんでしょ?いいじゃん!すっげぇいい!やったじゃん!彼氏やるじゃん!』

「んーでもなぁ。あんま自信ないんだよね」

『なにが?どこが?愛し合っちゃってるんでしょ?』

「あんたらみたいに、いい恋愛が、できるかどうか」

 

『…やめてよwいい恋愛とは呼べないよ。悲恋だよ?悲恋なんて、いい恋愛ってよんじゃいけないんだよ。お前いい加減にしろよ!って思いながら、ながーくながーく続いてく毎日がきっといい恋愛だよ?シンデレラの先なんか誰も知らないじゃない?日常ってきっと、激熱な感じじゃなくってシラーっと過ぎて、ああ、でもその時もあの時もどの時もその人がいたってのが、きっと…ねぇ』

鼻の奥が痛かった。私にはそれがなかった。これからもそれはない。私の終わりは東京湾に簀巻きにされて放られるまでだ。

 

「そんなもんかね」

『そーだよ。いつかわかる。その大切さ。時間をかさねる事』

 

指にひっかかる吸い終わった煙草を投げる。元気そうで安心した、どうか幸せになって欲しい。幸せでいて欲しい。私のお願いの一つ。亮介、叶えてね。大切だった人の幸せ。

 

その後、遠藤さんは私の子が供養されているのかどうかを気にした。何もしていなかった。恨まれるよ?と言って笑った。

雑司が谷のさ。音大の方。あの辺りに子供のためのでっかーーーいところがあるから。そこ行ってさ、集合でいいから祀って貰えば?亮介君、音楽好きだったし、音楽聞こえるんなら寂しくないじゃん。」

そうする。そうか。してあげなければならない事って沢山あるんだな。いつでも誰かに教えて貰って、そうして成長する。何かを誰かに教えて貰う。生きる価値ってこういう事かもしれない。なんて事はないのかもしれない。価値がありますよ!なんて描かれた何かを持っているわけではなくて、小さくても誰かに感謝されること。それが存在であって、価値なのかもしれない。

 

「亮介君の命日には私も手ぇ、合わせるよ」

『ありがとね!幸せでね!』

「お互いに!」

 

遠藤さんは色々を私に教えてくれた。それは優しさだった。私はそれっきり会わなかった。どうしても、自分の生活が宜しくない場所にあったので彼女を傷つけてしまうかもしれない、心配をかけてしまうかもしれない、と思い、もう二度と顔を見せなかった。今でもどうぞ幸せで、お元気で。

 

命日には私も手を合わせて、ゆっくりだけど、前向きに生きていきたい、そう思えた。間たったの一年だったけれど、もう立ち上がれない程に傷ついた一年でもあった。それでも死ねなかった。横浜に連絡して、ちゃんと落とし前つけて、終わろう。そんな風に思った。誰かの幸せは、自分の未来も明るくする。時が流れていく。時がいつか、私を変えてくれる、癒してくれる、そんな日は来るのだろうか。来てくれるといいな。それには、横浜で、殺されない事だ。

キミの話-第三章 vol,8

 『寺田さぁん、私ね、お部屋、探そうと思ってるの。あれから一年近く、死にたい死にたい言いながら、だぁれも私を殺してくれなかったし、もう死にたいって思うのも天に任せようかなぁって思い始めたのね。だから、足、洗わせて?』

寺田さんは少し黙った。ふぅん、と言った。腕の一本や二本は覚悟していた。東京湾に沈められても元は死にたくてやっていた事だ。今までだって全く無傷、だなんて事もなかった。血まみれになるような事だってあったし、私の願いはいつも叶わない。助けたいものは助からない。そういう風に出来ている。

 

「いいよ?いいけどひとつ、お願いがある」

え!いいの?いいんだ。なんと!あっさりですね。そんな風に思った。

「横浜のさ、あの人のとこにちょっと話聞きに行ってくれる?」

うわぁ…一番きついところだよ…。これは死ぬ。死ぬな。サヨナラ私。

『わかりましたぁ♡寺田さんの仰ることであれば♡』

「で、いつ頃って考えてる?」

『10月には離れる予定です。離れてもたまには寺田さんに会えればいいけど』

「やめときなw遊びで顔だすようなとこじゃないよ?特に君の立場は。特に」

『にゃはは。そうかもしれませんね。大丈夫。時間まではきちんとさせて頂くつもりなんで』

「明るくなったよねw」

『何がですか?』

「君が。普通ならどんどんダメになるけど。」

『あぁ。もう、落ちるとこまで落ちた後ですからねw』

「じゃあ横浜の件、よろしくね」

 

私は、死ぬかもしれない。

 

 

派遣担当と久しぶりに会って飲みに行った。こういう事は珍しいらしく、仕事を降ろす側と仕事をする側はお近づきになってはいけないんだそうだ。幾らで仕事を取ってきて、幾らを渡している、中抜きはいくら、そういう物が丸裸になる事を避けたがる。皆が皆、人をこき使い、その椅子でマウントを取りたがる。世の中はたいした事はないのにな。君らは一晩で一千万近くを動かした事なんか、ねーだろ?あぁ?会社の犬のくせに、その下は更に下だとでも思ってんのかよ。いつか出し抜かれるぜ?縦じゃない、輪だ、輪。頭使えよ。

 

『おまたせぇえ♡♡』

「久しぶりっすねぇえ!」

 

仕事の話をしながら散々吞んだ。可愛い男の子だった。自分がしたい仕事は本当は違う、自分には夢がある、と言った。いつかの遠藤さんのようだった。愛しい。可愛い。頑張れ。偉いね、したい事があってそれを手にいれるのに毎日やりたくもない仕事をしてる、それを誰かに聞いて欲しかったのか、君はえらいね、えらいよ。

 

そういう私はどうなのか、と聞く。したい事なんか、なにもない。

『今かぁ…今なぁ……私これと言ってなんにもないけど、ひとつだけ叶うとしたら、まだもう少し、生きてたいって事かな?』

「どういう意味です?死ぬんですか?病気?あ!もしかして来なくなったの、病気ですか?」

『心配してくれんのー?やさしー♡かわいー♡』

 

その後、寝た。結局、男は寝る。亮介は困っただろう。きっと。彼はこういう、誤魔化しの、いい加減な、が嫌いだった。なんとなくで過ぎる時間も、中身のない何かを埋めるような行為も好きではなかった。その違いがたまにわからなくなるね、とも言った。流されて、中身のない、そうした何かと、これとは何が違うのだ、そこを問うたのが苺のアイスだ。誰かと体を重ねたら重ねただけ、寂しくなるんだと知っていた。いつでも自分を探してた。その自分が私の中にあった。亮介は、幸せだっただろうか。幸せだと思ってくれただろうか。今でも、いまだに、それを考える。

 

"毎日は無理だけどたまになら仕事寄こして" 派遣担当とそうして朝に別れた。

 

『圭吾、元気?どうしてる?』

ミニ亮介に電話した。もうすぐ命日だ。

「ねーちゃん!ねーちゃんこそ、どーなの!」

向こうにいるのは、ミニ亮介だ。ミニ亮介。顔がにやける。圭吾の事は弟みたいに可愛い。とっても可愛い。あの日に私を助けてくれたのは、圭吾だ。私は彼に対してはいつでも誠実でいたい。

 

一年たつね、頑張ったよね、そんな話をしている時。

「言ってももう戻ってこないから…あの時…ねーちゃんには言わなかった事がある」

と圭吾が言った。

『なによ~かしこまって~。亮介、他に女でもいた?それでも別にいいけどねw』

「畳、仏間の。綺麗だったでしょ。」

『はぁ、うん。田舎の家ってよく手入れされてんだなーと思った。どっちになっても私あんな家に入ってやってける自信ないわwズボラだしw』

「畳、張り替えたの。朝に」

『うん?朝に?』

「あの時。にーちゃんの時の。あの朝。俺、遅れていってるからよくわかんなかったけど、多分、三谷さんは知ってる。」

『待ってwまてまて、何の話?』

「にーちゃんが燃えた時、にーちゃんが仏間に油のついた足で入ったとかで…油かぶってから仏間にマッチ取りにいったとかで、畳に足跡がついてたんだって。」

『じゃあ事故じゃないじゃん…自殺じゃん……』

 

「ねーちゃん。もうこんな話しても、にーちゃんは帰ってこない。にーちゃんは帰ってこない。もう誰も傷つかない方がいい。

 

にーちゃんがそういう事になった後、すぐに警察が来た。翌日の朝10時から現場検証するって帰って行った。畳が張り替えられたのは朝の5時。葬式でみんながここに来るのにショックがでかいだろうからって…」

 

『まだ……死んでないよ??』

 

「俺から言えるのは、こんだけ。うちのおじさん筋に警察の人、いるんだよ。」

自殺という、事故という、話が二転三転したのはここだった。後でそれがわかってもいいように、あれは自殺だったと言い張った。死亡報告書にあげられたのは事故だった。警察が検証した結果だった。

 

でもそれが、本人の足跡であるのかどうか。今となってはわからない。

本人の足跡ならばそれを警察にも見せたはずだ。本人はまだ死んでいない。それなのに、葬儀の話をして畳を処分した。

 

『圭吾が言いたいのは…』

「にーちゃんは、帰ってこないよ。ねーちゃんが、仕返しをしたって」

体が震えた。体が震えて、どうにかなるかと思った。煙草も掴めなかった。圭吾の言いたい事で、その言葉の含みでだいたいを理解した。亮介は、愛されていたのだと信じたかった。私に恨みつらみをぶつけたくなるほど、愛されていたのだと。

 

考えた。一晩中考えた。

 

何かがあった。何かがあって、亮介が火だるまになった。三谷君がたまたまそこに遊びにいった。救急車や消防車が来ていた。亮介が運ばれた。11日の夜。

 

12日の朝10時からは現場検証が行われる事になった。明け方、本人の、とされる足跡がついた畳を入れ替えた。理由は、葬儀で人が訪れた時にショックを受けるから。

 

13日、昼、亮介が旅立った。

 

もし、亮介がそこまでのやけどを負わなかったら助かったはずだ。自殺だとしたら、何故助からないと思ったのだろう。事故だとしても何故助からないと思ったのだろう。その時点で、どれくらいの量を被っていた、と把握できていたの?じゃあなぜ、止めない。知ってたのであれば、何故とめない。何を知ってた?

 

死亡報告書には、納屋に収納された古い灯油からの不良燃料(灯油)に亮介が吸った煙草の火が引火、となっていた。不良燃料がどの程度あって、それに引火すると解っていたのなら、亮介の煙草の前に、そのままにせずになんとかしただろう。大火事である。

 

その足跡はきっと、亮介のものではない。

だから片づけるしかなかった。

だとしたら、誰の?

 

 

そろそろ命日も近い。

久しぶりに私は遠藤さんに、一年ぶりに、連絡した。

キミの話-第三章 vol,7

毎日そんな生活を送る中、それでも一度は受け取った仕事、と、どのプロフェッショナルともそれなりの会話が出来るように勉強もしたし色々にぬかりはなかった。やるとなったら完璧に近いまでには持っていく、私の社会人生活は無駄ではなかった。これほどに華やかでもなかったし、金も頭上を飛ばなかったが基礎としては確実に、それは良い利益を出した。使える奴、だっただろう。バカにするな、私の男は私よりもめちゃくちゃに出来る、そのプライドだけが私にはあった。

"あいつが生きていたら日本を動かしただろう、あの頭は化け物だった"

亮介の友達の言葉が私の頭にずっと残った。生きていてくれれば。生かしてやりたかった。私が奪ったものは私が私の中で生かしていくしかない。安い女に落ちなかったのは亮介の力もある。彼の貢献は大きかった。

 

寺田さんにちらりと

「私もしこの仕事辞めることになったら、どうしますか?」

と聞いたら

『いつまでも出来るような仕事じゃないでしょ~。そんな事はちゃんと頭に入れてあるよ』

と言った。

「捨てられる?」

『そういう事じゃないよー。辞めたいって言えばいつでも考えるって事だ。こういう場所ってね、辞めたいって言ってはいそうですか、とはいかないって事よ。でも君は特別。辞めたいって言えばいつでも』

「寺田さんってあれね。紳士よね、いつも」

『そう思ってくれる子は少ないよねぇ~。だからかなぁ、君は可愛い』

「ふふふ。欲しい物がこんなにもないと、人の持ってる良さってものにしか目がいかなくなるのよね。私が見たのは地獄だったから、垂らしてくれる糸は全部、蜘蛛だわ。助けてくれる素晴らしい人たち」

『助けになったんならよかったが』

「ひとつ不満があるとしたら、殺してくれなかった事よ」

『君みたいな女は殺すには惜しいねぇ~』

と寺田さんは笑った。私は生きる価値がない。季節は夏に移ろうとしていた時の事だ。いつのまにか私はひとつ歳を重ねていた。亮介はいなかった。みゆちゃんの次の誕生日は俺一緒だからどうしよっか、もうその頃には働いてるかもしれないし旅行でも行く?そう言ってくれていたのに。ろくでもない世界で追い立てられる内に自分の誕生日なんて忘れたまま夏を迎えた。

 

色んな人に会った中で、医者という職業が最低だった。世間の人間が素晴らしいと揶揄するような職業を持てば持つほど金は飛び交い、金で買える物を操れる人間たちは最低だった。良家とは。学歴とは。職業とは。しょーーーーもない。

 

いないと困るとされる人間なんてこの世にいるのだろうか。誰が死んだってこの世は普通に動くし、何にでも代わりがある。誰かの中に代役がない、というだけで、全体からしてみればいなかったところで、だ。人の自信とはなんだろう。私はここにいなければならない人間だ!なんて、お前らよく言ったな、と鼻で笑ってしまう。大した事ねぇじゃねえか。精液垂れ流して、所詮、やる事は皆一緒だ。医者以外。医者は一番神に近い。相手が死にかけるまでやっても奴らは蘇生が出来る。薬剤の持ち出しも自由。最低にして最高の腕と頭を持つ。そのまま殺せばいいのに手を汚すのを嫌がって、ギリギリまでやるくせに絶対に殺さない。ヘタレが。

 

そうした意味で、知恵が効いて+αがあれば、世は渡れる。銀座で働く方々は最高だ。美しくて賢い。彼女達は最強だ。かっこいい。私のように簡単には寝ないし。

 

朝から晩まで何人くらい相手にしただろう。ほぼほぼ休みなしで最低でも20人は捌いた。多い時のパーティー役者となると一日に100いく事もある。向こう良家のお望みの通り、生きる価値のない女になった。でも私は永遠に一人だけの物だ。あの人の私。亮介は許さないだろう。いつかあの家を潰す。どちらにしても、私が、許さない。何年先になっても、絶対に。

 

「私みたいな女に、褒められたって何の価値もないでしょうけど、寺田さんはいい人ですよね、ほんとに」

時間が過ぎる。車の窓からは爽やかな夏を誘う陽気。私の一年は最低だった。あなたのいない世界は私にとっても青いものではありませんでした。一年は短いようで長い。一日の内でも、その瞬間に、時間の溝があるかもしれない。何かを引き離す、それはほんとに、一瞬の事。この世界から手を放しても、何の痛みも感じなかったのに。

 

寺田さんに頼まれた仕事が飛んだ日。暇が出来て上野に買い物に出た。新宿辺りに近寄ってしまうと客に会ったりして、アレ今日は出勤じゃないの?今日はどこに出勤?となるのが苦痛だった。動きが制限される。適当に時間を潰して帰るつもりだった。

 

『おい』

「?」

振り返るとマサトがいた。

「!」

逃げたかった。走って逃げようかと思った。ゴールドのバレエシューズを履いていた日。わぁ、なんでいるの。現存する人間の中で一番会いたくない人だった。

「なんで?」

『なんでじゃねぇよw久しぶりじゃん、どうしてたの』

…どう?ど…どうもしてない。

『ここにさ、うまいおでん屋あるから奢ってやるよ。』

………。

『どしたよ~。なんか辛いことでもあったか?お兄ちゃんに話してみ?』

ケラケラ笑いながら、頭をクシャッとした。マサトは背が高い。私なんか子供みたいだ。おいしいというおでん屋に連れていかれて、私はおでんどころではなかった。

『お前いまなにやってんの?』

「…普通に…」

ふぅーん、まぁいいや、と、いった感じ。

「色々あって…」

『彼氏はぁ?』

「はい?」

『男。いんのかってw』

「死んだよ」

『は?』

………。マサトにしてみると驚きだったかもしれない。離れてもすぐに自分の元に戻ってくる女だった。それが急にいなくなった。結婚でもしたのかと思っていたのかもしれない。それがばったり会って、男の存在を聞いてみたら彼氏はいたけれど死んだ、なんだそれ、だ。

 

「あなたと別れて、別の人と付き合った。結婚するつもりだった。でも死んじゃった。それでもうなんか、まっすぐ歩けなくなった」

私はマサトに恋をしていた。大好きだった。亮介が出来て、マサトの事で喧嘩もした。でもそれは、恋だった。愛じゃない。カッコいいから、仕事が出来るから、タイプだから、モテるから。確かに、私が一番恋焦がれたのはマサトだった。どうしようもなく好きだった。でもそれはいつでも一方通行で、亮介ほどは私を愛してくれてはいない。

 

『なんで死んだ?病気か?』

「表向き事故、実際は自殺だって聞いてる…」

『結婚すんじゃなかったのかよw』

……。解らない。解らないけど、ハッキリしない事は言えない。黙るしかなかった。目の前のお酒をグビグビ飲むしか出来る事がなかった。

『男ならなぁ~愛した女をまもってなんぼだろ。何やってんだよ、そいつは。結局自分だけ逃げて。よろしくねぇな。お前泣かすなんて』

「…あんたもでしょ」

『えーなにがぁ』

何がぁ、じゃねーよ。そもそもあんたがキチッと私を捕まえてたら、あの夜はなかったのだ。責任をとらなかったし、あなたは私を守らなかった。それなのに亮介を悪く言う。これにはもうなんとも言えない苦さがあった。とにかく口の中が苦かった。責めたところで始まらない。マサトに相手にされないからと、亮介を選んだのは私だ。でも。でも、と思った。比べるべきではないけれど、あなたは私の為になど泣かなかった。あなたは私がそれでも幸せだろうと勝手に独り言ちた。それが私だと勝手に信じた。

 

「もう帰っていい?」

『なんで。もちょっと付き合えよ』

「やだ。このまま行ったらどうせホテルじゃん。それで?寝たからまた俺の女?なにこれ、バカらしい。帰るわ」

 

悲しかった。私が私であった頃をよく知っている人。遠藤さんも亮介も巻き込んで、記憶の中から全部、全部を連れてきてしまう人。滅茶苦茶に好きだった人。考えなくもなかった。亮介を重いと感じた日。マサトなら私を煩わせないだろう、マサトは私を重いと感じていたからかもしれない、そういう事を考えなくはなかった。そこに逃げたいなぁって、考えなくはなかったわ。私は最低だ。いつでも最低だった。

 

立ち上がろうとしたら、腕を掴まれた。

「なに、もう帰るから。離して」

『お前、俺が35になるまで、待てるか?』

「なにを?何の話?」

『結婚。』

「はい?」

『俺が35になったら結婚しよう。後ちょっとだ。4年』

「やめてよ……帰るわ」

外に出て、泣いた。大泣きした。周りの人が私との空間をあける程に泣いた。私が好きだった人間が遠い先の話でも真剣に考えていた事があった。それが愛なのか恋なのかは知らない、でも人には人の愛し方というのもある。同じ速度で、とはいかない事もある。だけど。色々が捻じれてしまって、私は私の罪を背負った。それを知らぬ顔で、そう言われたから私結婚するね、ごめんね!とはいかない。私は汚れた。もう昔の私じゃない。幸せになる資格を自分から放棄したのだ。汚して、穢れた。

 

自分にも他人にも周りにも、心から、ごめんなさい、と思った。色々が申し訳なかった。生きる価値もないような状況で育ち、生きる価値もないと他人に言われて、その中でも必死に色々を守ってきたのだ。誰かがちゃんと、自分の知らない場所でちゃんと、幸せを願ってくれていた事を知らなかった。私なんて消えればいい、そう思っていたのに、私が誰かの中でちゃんと生きていて、私はそれを殺そうとしていた。消そうとしていた。そうさせたくなかったから亮介は私を守ったのに、私は何もわかっていなかった。自分の愚かさと自分勝手さに、泣いた。

 

数日後、久しぶりに派遣会社に電話した。担当の男の子が

「どぉあああああ!めちゃくちゃ久しぶりですね!元気なさってましたか?連絡つかなくなってからあの子どうしたあの子どうした、もうほんとに、凄かったんですからwまた仕事します?入ります?飲みに行きましょうよ」

『はいはいw』

隙間でまた、派遣をいれる事にした。この生活から、抜け出さないと。そんな気分になった。抜け出すとしたら、どこで溝をつくる?私は亮介の命日に標準をあわせた。あなたのいなくなった日、私もいなくなった。私はまたその日から、ゆっくり歩きだすだろう。

 

寺田さんがそれを許せば、の、話だけれど。

キミの話-第三章 vol,6

ファッションヘルスなんかとは全く違い、デリバリーヘルスの仕事は妙に楽しかった。全く楽しい事をしていないのに、やたらと楽しかった。何の変哲もないマンションの一室を待機部屋として使用している店が多い。お客さんから電話があって決まった女の子のご指名もない場合、〇さん行って、と告げられる。女の子は待機中にしていた事を切り上げて、ドライバーさんの運転する車に乗って運ばれていく。お客さんが女の子を気に入らなかった場合、女の子はすぐに戻る事もあって、部屋に入れて貰えたらこちらから店に一本電話を入れて、そこからの時間で計算される。ドライバーも少しの間はその周辺で待機し、何も問題がなければ引きあげてくる。

 

働く女の子には色んな子がいて、生活の為に、私のように生きる意味をなくした為に、借金の返済に、退屈だから、新しいバッグが欲しいから、ホストに行きたいから、趣味と実益を兼ねるから、と様々な子がいた。あの世界は24歳から上は熟女とされる世界で、私は既に熟女枠だったものの、見た目が若く見えるという理由で熟女でも若い子でもどっちでもない、誰でもなんでもよい、どの客も相手の出来るオールマイティな感じだった。

 

何が楽しかったかを思い返してみると、独りきりではないと感じられた、という事が大きかったと思う。結局、人は一人では生きられないのだ。長い間ひとりでいたので待機事務所で、男以外の同年代の女の子に話しかけられると嬉しかった。お店のナンバーワンはどの店のどの人もほぼ、一緒に働く子とは話さない。格が違う、そういった雰囲気を出していた。かっこいいなーなんて思った事もあったけど、その世界では、の話である。どいつもこいつも皆一緒。この世には綺麗も汚いもない。自分にとってそれが必要かそうでないか、誠実かそうでないか、そっちの方が大切である。その現場で素晴らしくても、だから?他では?と尋ねられると、そんなにも凄いと言われるような話でもない。

 

仕事として面白かったのはどうしても無理だとか、これは危険だと感じた時に逆チェンジが出来る事だった。合言葉があり部屋に入って電話を借りて、電話を切り上げる時に

「ごめんなさい、事務所の手違いでここに来てしまったようで帰ってくるように言われました。別の女の子がすぐにくるので」

と告げて、飛んで帰ってくるという事が出来る。これは初めの頃、面白いシステムだなぁと思ったが、働き始めてから、ないと困るルールでもあると知った。ヘルス等の店舗型は困った事があっても周りに人がいるのでSOSが大声で出せる。デリバリーともなると完全に二人きりになってしまう。危険だと思っても逃げ場がなくなる。女の子達は生きる事に随分、命を張っている。

 

部屋の隅には受付用のデスクが一台あって、その頃の業界で一,二を争っていた人気店は中にいる全員が仲がよかった。暇になると今日暇だねーなんて話をみんなでしていたし、働くもの同士で帰りに珈琲を飲みに行く、お酒を飲みに行く、待機中にご飯を食べに行く、そんな事もよくあった。死にたくて始めた仕事でもあったけれど、こうも和気藹々としていると雰囲気が楽しくて、ああこの世界も悪くないな、なんて思ったりした。

 

色んな女の子がいたけれど、真面目に働いていてダブルワークで、なんて子はあまりおらず、虐待をされて育っただとか、付き合った男が酷くて気づいたらこの世界だとか、普通の仕事はした事のない子だとか、シングルマザーでだとか、何かしら皆、傷を抱えていて、環境は大切だなと思った。どこかしら愛の形が捻じれている。亮介の連れてきてくれたペットさんなんかはこうした傷の最上級の持ち主だったけれど、普通に育って普通に就職をして普通に恋愛をして普通に結婚して幸せに家庭を築くなんて事さえ、私やそうした人にとっては奇跡に近く、人としての価値を線引きされてしまうラインはどこだろうと不思議だった。生まれついた星や運が物をいうのだとしたら、彼女達は誰よりも幸せにならないと割に合わない。とてもいい子たちが多かった。亮介がもし女の子だったとしたらやっぱりこうしたところで働いたんだろうと思う。あの人ならば頭もきれるし、売れっ子も売れっ子だったろう、とも思う。

 

そのお店はとても楽しかったのにお客さんに呼ばれて外に出ている間、事務所に警察のガサが入ったとやらで事務所には戻らない方がよいと別の女の子から連絡があり、近くのファミレスで落ち合おう、と落ち合って、どこでそれを知ったのかを聞いたら連れていかれる女の子が車にのせられる手前でシッシと手で払う仕草をしたので逃げてきた、という話だった。彼女は暇でコンビニに買い物に出て、戻ろうとしたら沢山車がとまっていて、何事だ何事だと思っている内に状況を把握し、私に連絡をくれたんだそうだ。

「お客さんと離れた後だったんですか?」

『そーだよ。ちょうど帰ろうと思ってたところ』

「めちゃくちゃラッキーでしたね」

『そーだねぇ』

「…って事は売上そのまま?」

『そのまま。なんなら前の二件分とさっきので三件分、そのまんま』

「中抜きなしじゃないですか!」

『って事になるよね。助けてくれたから奢ってあげる♡』

「わー嬉しいー。いいんですかー。でも明日からどうしますー?」

『別の店、行くしかないでしょ』

「ですよねー」

季節は春で、あの庭のチューリップは咲いたのだろうか、そんな事を考えた。ナツメさんは元気だろうか。みんなどこにいってしまったのだろう。私は何をやっているんだろう。

 

人の優しさや楽しさに触れるとすぐに人恋しくなってしまう。次に移った場所はあまり女の子同士のやりとりもなく、受付はブスっとした嫌な男で、仕事自体は全く楽しくもなかったがたまに話しかけてくれる、とても二人の子持ちには見えない綺麗な女性がいらっしゃって、その女性はとても優しくて美しく、いつも気持ちの良い人だった。なぜその仕事をしているのかの詳しい話までは聞かなかったが、男性からも人気があってそれも納得できるような人だった。私はよく待ち時間に彼女の分の飲み物も買って事務所の冷蔵庫に入れておいた。

 

ある日の事だった。彼女が駅前のホテルに呼び出されて出て行ったまま帰ってこないという話になった。そうした仕事をしている人間はホテルの受付とは顔見知りになる。一日に何度も別の人間と出入りしていればそれはそうであろう。仲の良かった私が聞きに行った。部屋に電話して貰ったが電話は鳴るばかりで誰も出なかった。何回か繰り返して、部屋を見に行こうという話になった。私も行っていいですか?とついて行く事にした。

 

部屋に入ると開けっぱなされた風呂場の扉からモクモクと湯気ばかりが出ていた。先に入ったホテルの人が「大変だ、救急車呼んで!」と大きな声で言うのでびっくりして見に行ったら、頭から血を流した彼女の上にはジャージャーと蛇口から熱湯がかけられて、その部分の皮膚が裂けていた。痛みの感覚が少しマヒした日々だった。それを見て、その傷口をみて、一気にあの時の亮介がフラッシュバックした。店に戻っても気分が悪くて何も考えられないので早退して家に帰った。その夜、ひどく熱を出した。

 

翌日彼女がどうなったのかを尋ねたら、死んだと言われた。人気のある風俗嬢を狙った手口で、売れっ子さんは次から次に指名が入るので、前の客の売り上げをそのまま持ち歩いた状態で次の客へ乗り上げる事がある。それを狙った犯行なんだそうだ。死んだ、と言われても。死んだのに普通に営業するんだ?あんたらは最低だな、と腹が立って言った。その最低な奴らに使われてるのは誰だ、といけすかないデブの受付に笑われた。全く悲しそうじゃない。確かにそんなリスクも込みで働く現場だ。それにしても、今まで働いてくれた人に敬意のひとつもねーのかよ。同じ人間を捨て駒みたいに扱う事に、嫌気がさして辞める事にした。あの受付のデブは大層気分が良かったろうな。どこにいても相手にされるような人間ではないだろうに、人を神か何かのように切り捨てたりできる。私は壊れてはいたが、あれよりはマシだった。

 

数日また、深く沈んだ。やっぱり誰が死んだって、街は普通に動くし、空は晴れる。腹が立った。何にかはわからないし、言い表せなかったけれども、とにかくひどく腹が立った。残された子どもはどうするんだ。あなたしかいなかったりしたら、どうするんだ。誰かちゃんと悲しんでくれる人はいらっしゃるのか。私は悲しかった。私には悲しんでくれる人はいないだろう。それでも、だからこそ、余計に悲しかった。

 

一ヶ月や二ヶ月は遊んでいても暮らせるほどにお金はあったけれど、私は生き急いでいた。立ち止まるとろくな事を考えない。体はバカになるくらい、だるいし辛かった。かと思ったら次の日には今までないほどに軽く…そんな日を繰り返していた。多分、やっぱり、あの時に体の中が変わっていたはずだ。寺田さんに初めに任された店は面白くなくてお休みという形で出勤をとめてしまっていたけれど、のちのち別の仕事を頼みたいから、という事で私はそのまま部屋にいさせて貰っていた。あまり具合がよくないのであれば病院へいった方がよいとも言われたけれど、風邪だとかそうしたハッキリしたものもなかったので、これ以上があれば行きますと適当にかわしていた。寺田さんに、私が死んだら泣きますか?と聞いたら当たり前だ、と言われた。そりゃそうだよね、金にならないし。

 

楽しかった店時代にガサを教えてくれた子に連絡をしてみたら今は別の店にいてこっち来ますか?と誘ってくれてそっちへ行く事にした。入ってから数日の事だったけれど、髪が長くてパーマをあてたセクシーな、どうみても陰のある方がいて、その子と二人でパーマさんと呼んでいた。パーマさん訳アリ?あの感じだと訳アリじゃん?ほんと?さぁ…

 

ある日に事務所にビデオの撮影の話が入った。誰か出たいやついないか、という話になって顔出しはちょっと、という子と、金による、という子がいる中で、話が私に周ってきた。私は内容による、と答えたが、別にそれでもいいなと思っていて、とりあえず話は私で進んだ。あんなものに出て!と叱る親もいなければ、そんなのに出てたなんて…とこの先泣く人間もいないし、私なら困らない。が、あまり体の具合がよいとは言えなかった。その日の気分によるような、まるでイギリスの天気だ。約束の日の数日前からひどく熱を出した。起き上がれないほどになって、寒気はひどいし、数日寝込んでしまった。予定を変更して貰えるよう先方に連絡して欲しいと言ったら、私の代わりにパーマさんが行く事に決まったという。話をそのままあげても何の問題もない話だったが、取られてしまったような、使えないやつのようで、残念がって寝ていたら夢に亮介が現れた。

 

(みゆちゃん、病院に行って)

(亮介!)

(みゆちゃん、頼むよ、病院に行って)

(亮介、病院嫌いでしょ~?私今日の予定飛ばしちゃったよw)

(いいんだよ、それで。そうしたんだから俺が)

(え!亮介、なんて事すんの)

(いいの、みゆちゃんを殺すわけにいかないの、俺は)

(いいよ別に、死んだって。ここには亮介もういないんだから)

(いるよ、いつもいるよ。そこに)

(嘘つけーっっっっっじゃあ私なんで毎日こんなに苦しいの)

(いいからみゆちゃん。病院にいって。体だけはだいじにしないと)

(あんたなんなのよ。あんたがいなくなったから私は苦しんでんのよ。なんなのよ)

 

汗だくで起きた。考えると汗の出方もこの辺りからおかしかった。起きて吐いていたら、仲良しの女の子が尋ねてきてくれた。ビデオの撮影の話だけどパーマさんがいったらしいという話をしたら、その子が言った。

 

「あれはねー…私知ってんだけど、あれ、ちょっとやばいんだよね」

とキャッキャとした。聞いてみると、某県の山奥にある場所での撮影で、持ち主はなかなかの職業の方の物だけどそこで撮影があった後は誰もその子に会わなくなるって噂がある、との事だった。噂通り、その後、パーマさんには会わなかった。お店も辞められたとの話だった。日本の闇。怖いので聞かなかった事にしたが、私は何かと色々にギリギリで助けられて、ますます死ねない気になっていた。

 

寺田さんからの仕事と言うのは、なぜ綺麗でもなんでもない私に回してくれたのかはわからないが、そうした一般的な風俗の仕事とはまた違った、それだけを目的にしたものではなく接待の先にそうしたサービスもお願いされれば出来るという、所謂、高級娼婦の役割で、政治家、弁護士、芸能人、海外からのお客様、そうした人たちを相手にする物であった。私は国の犬のような存在になった。だからと言ってそれらを口外しようとは思わない。私は死ぬためにそれをやっていた。何かがあって殺されても何の問題もない、国の犬だ。生きるというのは上も下もない。底辺にいるフリをして食い込もうと思えばいつでも食い込める、そんな場所にいた。上と下は縦に連なっているわけではない。輪になっている。やろうと思えば好きな事が出来た。でも、それもしなかった。欲がなかった。欲がなかった事が逆に使いやすく、会社で培われた社会人としてのマナーや言葉使いや仕草、品、それらをトータルして持っていた使いやすくて妥当な人間、それが私だったというだけの話だった。死にたい気分とは裏腹に、華やかで美しい、そんな世界の住人となった。私にある今日の陰りは、そうして出来上がったものだ。

キミの話-第三章 vol,5

新宿の地下に潜った仕事はいつでも退屈だった。階段を下りたその先は薄暗く、隣の部屋との上と下が開いていて、それらの声が漏れて聞こえないようにガンガンに派手な音楽が鳴り響き、男物のYシャツみたいな一枚を与えられ、部屋には小さなシャワールームと簡易のベッドしかなくて、待機の間は自由があるようで自由なんかない。モグラみたいな生活だった。シャワールームへの区切られた場所が透明のビニールのカーテンで、私は余程あれに縁があるのだろう、と思った。愛する人の一分も一秒も見逃せない、そういって白のシャワーカーテンをとっぱらい透明にした、便座に飛び乗って笑った亮介を思い出す。

 

ガンガンに鳴り響く音楽が喧しくて、亮介が残したMDウォークマンで私を満たす。壁にもたれかかって本を読みながら煙草を吸う。朝は早朝からホストで働く人間が来るし、昼は休みをとった私服のサラリーマン、夜はスーツで酒に酔ったサラリーマン、お前らはどんだけやりたいんだよ。暇をみつけてはうがい薬の補充をしたり、廊下にあった業務用のタンクからローションをボトルに詰め替えたりする時に、お客さんのいない時間の女の子たちが受付でたまに話しているのを見かけたけれど、その現場では一緒に働く女の子達とはそれ以外であまり顔を合わせなかった。

 

ある日、私のいた個室がノックされた。そこで働く女の子が私を見るなり、入っていいですか?と言ってきた。断る理由もないので入れてやると、数日前から早朝に私を指名してくるホストの男は自分が惚れている男だと私に告げ、指名があったら断って欲しい、と言い出した。指名があったら断るだなんて事がこちらから出来る物なのかをフロントに聞きに行くと、それは少しまずい話だ、と言い出して、更にその女の子が私が店に告げ口をした!と私を責め始め、どっちでもいいわ、と思っていたら、その子がまた私のところにやってきて、どうして自分を指名しないのだ、あれだけ貢いでいるのに、ここで働いているだいたいのお金は全部あの人に捧げているのに、と言った。気の毒に感じたが、普通の仕事をして彼に会いに行ってみてはどうか?と提案すると、普通の仕事をしていては釣り合わないし彼につぎ込むお金もないから嫌われてしまうだろう、と言った。世界は、病気だ。どうかしてる。そんな事で好きかどうか決めるような話なら初めから愛されてなどいない。

 

「こちらから断るって事が出来ないんだってさ、ごめんなさいね」

そういうとその子は大泣きをして帰りたい、と言った。私も帰りたかった。帰れる場所があるのなら。その後に散々、本番をやらせているんだろう!とかなんとか罵られたが言いたいだけ言わせた。本番をさせる方が楽だ。顎も疲れない。スマタもしないでいい。動かなくていい。乗せとけばいい。何より演技しないでよい。わー来てくれたんですねー会いたかったですー、なんていう棒読みの、しょうもない演技をしないでいい。

本番があれば、気持ちいい?と聞いてくる無駄な客の質問に甘い声を出さないで済むのだ。ぬくぬくと生きやがってよ、そんな風に思わないで済む。

どっちでもいい。どっちでも。

 

何かとよくぶち当たったのは妊娠中の奥さんを持つ男性陣で、女性側からするとこんな時に性欲があるなんて男はどうかしている、といった風に受け取れる話だけれど、あれはあれで、妻の体を考えず乗らせてくれなどと言うとそれこそ人間ではないのではないか、という罪の意識が彼らにはあり、金で解決できるなら、とした物で、それはそれでとても健全だと感じた。金で切れない縁を結ぶよりも、金で解決できる縁の方がそんな時には素晴らしい。喉が渇いたから自販機でジュースを買う、その行為とたいして変わらない。そんな時に交わりたいなんて事を口にして体に負担がかかって小さく芽生える命を落とすくらいなら、何も関係のない、死のうが生きようがどっちでもいい相手にそれを預けておいた方が賢いではないか。

 

「そんなお話を私になさるという事は奥さんに悪いと思っていらっしゃるんですか?」

『まぁ…ね。後ろめたさがない、っていうと嘘になるよね』

「そうですか?どっかで出会った女性とそうなられるよりは随分とよい気がしますが。お金で解決できるもの。人の心は、そうはいきませんよ?それだって充分、守ってらっしゃる、そういう事になると思います」

 

その内、そんな事をしないでも、話ができるだけでいい、話を聞いて欲しいから会いに来た、そんな人が増えて私は一気に登り詰めた。話を聞いて欲しいのは私の方だ。話したい言葉ももう出てこなくなってしまったけれど、助けて欲しいのはいつでも私の方だった。朝から晩まで男のモノを咥え、誰かの名前を呼びそうな感情を押さえつける。ガンガンに鳴りやまない音楽から解放されて帰路につくとまた、酒を飲む。また、薬に手を出す。迷い込んだらその先に亮介の吸う煙草のけむりがゆうるりと流れ出す。私はそれを指で遊ぶ。

 

(みゆちゃんどうしちゃったの、みゆちゃんらしくないねぇ。)

(そう?なんにも変わってないよ?亮介どうしてるの?元気なの?)

(みゆちゃん、心配だよ、俺)

(あぁ、あのね!駅のそばの不動産屋が白いフクロウ飼ってたの、知ってる?そのフクロウにも心配だよって言われたの!誰も信じてくれなかったけど、聞いたんだ)

(知らない。俺も見たかったなー。みゆちゃんあれじゃん、俺よりもあの街に詳しくなったwwこれから一杯、俺の知らないみゆちゃんも増えて、俺の知らない事が終わったり始まったりして、楽しみだねw)

(やめてよ。そんな事いうの…私ひとりみたいじゃん。独りにしないで。)

(んー、みゆちゃんー。俺、みゆちゃんには幸せになって欲しいよ?)

(じゃあ亮介、幸せにしてよ。幸せにして。)

(ちょっと待って。もうちょっと待って。遠藤さんも言ってたでしょ?もうちょっとだけ、待ってね。)

(いつまで放っとくのよ。あー!もう!!私がそっち行く。それが早くない?)

(それは絶対だめだ。俺がさせない。)

(どーしてよ。亮介いなくなってこんな寂しく感じてるのに、どーして来るな来るな来るな来るな、嫌いなの?私のこと、嫌いなんでしょ!本当は周りがいうみたいに私の事嫌いで逃げたんじゃないの?)

(バカwwわかるから。だからいっつも身につけといて。俺を持ち歩いて。でもさ、みゆちゃん、誰かとそうなる時には、俺、みてらんないから、そういう時は俺をどこかへ)

(……こんな事で生きる意味、あんの??)

(あるよ、みゆちゃん。あるんだよ。)

 

毎朝は相当な苦痛だった。眠りたくないのに眠りこけて目が覚めてしまう。望んでもないのに求められて、私はまたヘラヘラと笑い、狂おしく夜を過ごし、そしてまた、朝になる。眠らずによい方法、というのを考えた。食べないで過ごせる方法は編み出した。酒さえあれば何とでもなる。眠らずに過ごせる方法は眠る時間を失くす事だ。巷には早朝ヘルスなんて物ができたらしい。そっちも掛け持ちすれば眠らずに、亮介に会わないで、済む。亮介に会える事はこの上なく幸せだったけれど、その幸せもそうは長続きもせず、時間と現実は彼を奪っていく。

 

早朝ヘルスにも面接にいった。経験済みの仕事なので、店長にサラリと話を聞いただけで実技はいらない、と言われた。朝からそちらに入り、午前中にいつもの地下へ移動する。東京にはあれだけの人がいて、街は眠らず楽しそうに笑い声が過ぎるのに、私には何もなかった。

 

寺田さんは私を褒めた。よく働くし評判がよい、先方からも褒めて頂いている、とよく解からない先方の話までした。新しく始めた仕事のことも知っていたので地下組織というのは繋がっている物なのだろうと理解した。よくも知りたくなかった。仕方なく生きている、ただそれだけ。逆に寺田さんの方が不思議がった。色々を知りたくないのか?と。色々知ってどうすんだ?と言い返した。私の事を変わったお嬢さんだ、と言った。

 

生きるためにしている人と、死にたいからしている人間とでは大きく差が出る。死にたいからしている人間にはこれといって欲がない。墓場まで持っていきたいようなものは何もなく、出来たらあの人と同じ墓でゆっくり眠りたい。願いがあるとしたらその程度だ。ぼやけた、もやのかかるような日常。私には色がない。なんの色もない。私は何日も何日もその生活を限りなく続けた。

 

翌年には仕事の量をもっと増やした。池袋のSMクラブでも働き始めたし、鶯谷でデリヘルなんかもやった。一番多い時で常に4店舗、腰掛で2店に在籍、合計で6店舗を行ったり来たりして早く死ねる日を待った。不思議な事に手を出していた悪い薬がまったく効かなくなった。というよりも、あると調子が良かった。酒も酔わなくなってしまった。今考えると、私が大きく体を壊し、ストレスがかかるとダメになる、人間の一番大切だと言われる部分に腫瘍を作ったのはこの時だ。それらがあってまともになる。体の機能は低下し、ストレスは私自身をこの世から隠してしまった。感情の一切が揺れなくなっていた。たまに会える亮介の姿にさえ、感動しなくなっていた。どちらかというと、少しだけ、置いて行かれた事を恨むにも近いような感情は、無きにしも非ず。

 

SMクラブで働いてあのような事が出来るのならば、亮介に思う存分、させてやればよかった。本人はみゆちゃんにはそんな事が出来ないと言って泣いただろうか?無感情の生き物は感情豊かに動いていた頃にはそんな恐ろしい事出来るか、と思っていたけれど、感情が消えうせればそうでもないらしい。でも、今になって思うのは、やっぱり自分を殺せる人間は人に対してはその倍はやれるという事だ。私は自殺できなかった。他殺か事故を望んだ。日がたつにつれ、感覚はマヒし、愛がなんだったか、何故私はこのような事になったのか、何も思い出さなくなる時間が増えた。比例して手元の金も増えた。

 

迷子がいても無視したし、困ってる人がいても突き飛ばしたし、救おうと思わなかった。救えるものなんて何もなかったし、無駄に生きてないでさっさと死ね、その程度。カップルが電車にのってウトウトしていると、私にもあんな頃があって、と、うるりとした物だったけれど、その頃にはもう邪魔でしかなかった。邪魔だブスどけろ、酷い生き物だった。

 

ある日、寺田さんの紹介である方のエスコートをお願いされた。その方は私を大変に気に入って下さり、その生活から足を洗うまでの間、長期的なお付き合いがあった。その方に連れられて横浜に行った。マンションの一室のたまり場なのか事務所なのかよくわからない場所に連れて行ってもらい、そこにいる人たちとも仲良くなった頃の事だ。いらっしゃるのか、いらっしゃらないのか解らなかったけれど、横浜で買い物をしたついでにそこに立ち寄った。ご本人はご不在だったものの、そこには顔見知りになった方がいらして、ここで待つとよい、と仰った。

 

いらっしゃらないのであれば後日尋ねます、そういって後にしようとした時に、美味しいラーメンでも出前して彼女に食べさせろ、と言われた、と呼び止められた。そこにいた人たちと話をして時間を潰す事になってしまったが、ここはどこで一体何をするところで、あなた達は昼間から何をしているのだ、と尋ねる事もせずに仕方なく、そこで待っていた。やっぱり普通は色々聞くらしい。

 

度胸ありますね、とか、なんも聞かないんですね、とか、色々と言われたが、何の興味も全くないので、と笑って答えると、そうですか、それがいいです、と言われた。そうしていると玄関が騒がしくなり、ギャアギャアと騒ぎ立てる女が担がれるようにして入ってきて、右側の奥の部屋に連れていかれた。ほどなくしてラーメンが運ばれて、私はそれをズルズルとすすった。

 

右奥の部屋からは時折、この世の物ではないような断末魔が響き、断末魔が響き渡る度にゴボッと詰まったような音が聞こえ、その度に箸がとまり

「…あの…お食事にはとても不似合いなBGMで、せっかくご馳走して頂いているのに…箸が止まります」

と言うと、それもまた不思議だったらしくて笑われた。…ので何か質問するべきなのかと思って

「……えっと。何か聞いた方がいいんですよね…あの…あの人は一体…」

と言うと、彼氏の方が不義理をやって逃げてしまい、その女がとっつかまってああなっている、と教えて下さった。

「殺されてしまうのですか?」

と尋ねたら、どうなるのかは自分もしらないけれど、あんな風になるのは珍しい事だと言った。あんな風のあんな風がどんな風なのか、その現場が見えたわけではないのでよく理解ができなかったが、とにかく、食事がまずくなる。私が、そっか、いいな、と一言いったらギョッとした顔をして、何がですか?と尋ねられた。

 

いいな、死ねるの。羨ましい。

 

そう思っただけで、助けようとも何とも思わなかった。その世界にはその世界の道理のようなものがあり、その世界で生きる人たちにはそれが秩序なのだろう。どの世界で生きてもルールのような物があって、そこで尽くす事が人としての善となる。それが集団性だ。独りで生きる私には全く関係ない。ラーメン、ごちそうさまでした。

キミの話-第三章 vol,4

誰からの着信にも一切でなかった。住所不定、無職、更には妊娠中。人を殺めた罪。目下悩みは、産むか堕ろすか。産婦人科の前まで行っては、やっぱり出来ない、と引き返す。ならば死んでしまった方が早い。一緒なら困らない。あっちの、世界を超えたどこか遠く、三人で暮らせばいい、三人で……

 

外でもネットカフェでもカプセルホテルでもどこでも飲み続けた。これだけ常用していれば助かったところでまともな子なんて産まれてこない。既成事実が必要だった。手放す為の、努力。自分の手を下さずに、汚さずに済む努力。Barなんかは最高の場所だった。ネットカフェでシャワーを浴びて小綺麗に支度して、若い女がチョコンと座って退屈そうに飲んでいる、ただそれだけでご馳走しましょうか?という紳士的な仮面を被った狼が現れる。

"とって食われてやるから、さっさと殺してくれますか?"

私の中にあるのはそれだけだった。ご馳走して貰い、相手の家かホテルへ行き、SEXする。

「え?中に出していいの?」

『どうぞ。妊娠しないから』

相手は喜ぶ。ラッキーだ。バカバカしい。生きる事なんてバカバカしい。早く殺してくれよ、人の上で喜んでんじゃねぇよ、気持ち悪い奴らだな、あんたらほんとの愛を知らないんでしょう?可哀想に…

そうしてシャワールームで、泣く。早く迎えに来て。早く。独りにしないで。亮介なんで迎えに来てくれないの。

 

「これ、お小遣い」

『…お金の為にやったとでも?』

「違うの?じゃあなんで付き合ってくれたの?」

『自分の為に』

男共は毎回このセリフを言う。嫌気がさした。金でしか操れないような物、金で解決できる物、そんな物にわざわざ金をかけるなんてこいつら本当にバカなんじゃないのか、私が言うのもなんだけど、お前ら空しくなんねぇの?

 

そんなこんなで

「あーでは酒代程度、頂ければ。2000円程度でいいです。ありがとうございます」

『もうちょっと持ってけば?金、あっても困らないよ?』

あったら困る。あるとどうにかこうにか生きてしまう。そんな日々のある日の帰り道、もう疲れてしまって、本当に心底くたびれてしまって、公園のベンチで亮介の残した大量の薬をバッグから出し、酒と一緒にむさぼり喰い、気づいた時には病院のベッドにいた。6日程度は昏睡していたらしい。

 

「お腹のお子さんが…助かりませんでした」

「そうですか」

私たちの子は亮介の元に旅立った。亮介が寂しくなくていい。昨日まであった夏が嘘みたいだった。時間の溝のラインはどこでひかれてしまったのだろう。何の感情もなかった。夏の日の出来事を思い出すとそこだけで生きていける。そこだけで私は笑ったり泣いたりする。世界は色がなく、何の痛みも感じられず、楽しい事もない。明日の予定もない。どうしてもしたい事と言われたら、この肉体を何とかする事だけだ。生きているだけで金がかかる。無駄だ。生きたくもないのに生かされて、無駄だ。早く迎えに来て欲しい…早く迎えに…駅で初めて待っていた亮介の銀色の透けるような髪の色を思い出す。亮介の香りを思い出す。病院のベッドの上で勝手に動く自分の指をみて、この指は亮介の髪を漉いている、そう知った時に私はもう私ではなく、何かに寄生されたようなそんな気分だった。時間の溝はどこに。思考がずっとその場を離れない。

 

ここを出てからどうするか。そんな生活を続ける内の中の一人で、まあまぁ優しかった少し陰りのある紳士の事を思い出して病院の廊下から連絡をとった。結婚もしていないし一人暮らし、立派な家に住んでいた。彼女がいるのかどうかは知らないが、いてもいなくても、嫌な別れ方はしなかったので良い知恵をくれるだろう。優しそうだったから殺してはくれないだろうけれど、無駄な気はしなかった。

 

外で落ち合った寺田さんはまさか私からの連絡があるとは思わなかった、と驚いていた。何故ですか、そう尋ねると、人生の退屈さを嘆くような他のお嬢さん方とは違ったから、という哲学的な意見を寄こした。退屈を通り越してしまいました、と笑うと、その意見には同意だね、と寺田さんは珈琲を一口飲んだ。

 

この人はバカではない、そう見抜いた私は寺田さんにこの一年の話と、あの夜なぜBarにいたのか、その後今日までどうだったか、を話した。話を聞きながら寺田さんはたまに辛そうだった。同じような感情を知っているのかも、と思ったけれど、それ以上は聞かなかった。君はまだ若いのに、と言われたけれど、だからどうしたというのだ、亮介なんかは24で生涯を終えたのに。寺田さんは聞いた。

 

「で?死にたいの?」

『えぇ。そのつもり』

「死んだとしても、泣く人、いないの?俺は?」

『寺田さんは泣かないでしょう?人助けみたいな話じゃないですか。私に惚れてるわけでもあるまいし。私は私をなんとかしたい、ただそれだけですよ』

「俺は泣くなぁ~。せっかく連絡くれたのに。それに…一回だったとしてもその…君の体も知ってるし…。若くて可愛らしい君みたいな子が死にたい死にたい言ってたら、じゃあ俺みたいな人間はどうしたらいいんだって話になっちまう」

『…無駄だと思うなら、死ねばいいんじゃないですかね。生きる価値もないって事が理解できた時、日々はなんの意味もないって痛感しますよ。その前に死んだ方が得です。死んでまで余計な事は考えたくない、そうでしょう?』

「そうかー。結構な覚悟があるんだぁ君は。じゃあってわけでもないけどね、いい仕事があるからどう?君みたいな子だとよく務まると思うけど。まぁ…あんまりね。こういう事すすめるのも大人としてはどうかな、と思うけど、すぐにも死ねないんなら、なんとな~くの時間稼ぎってやつで。その内、いい事あるかもしれないし」

『期待だとか希望だとかそういう物は残っていません。でも事実、明日も息をしてるとしたら確実にお金はかかる。無駄過ぎて笑っちゃう。明日明後日、すぐに死にたいのに…まだ死なせて貰えないなんて…。生き場所もないなら死に場もないなんて、嫌な話ですねー。』

「だからその、死に場ってのをさ、提供してもいいよって話だよ」

 

会計を払う時にクレジットカードが詰まって膨らんだ財布には色の濃いカードが何枚かあって、あれは黒だ、と思った。色が薄いか濃いかでしかわからない。でもあれは黒だ。寺田さんは金を持っている。金にまみれた生活で、この人はこの人で本当の愛を知らないから金に依存するのかもしれない、と思った。

 

ネットカフェで過ごす私の元に数日後、寺田さんから連絡があった。使っていない部屋があるからそこで過ごすといいよ、という話だった。土地転がしなのかな?寺田さんの実態はいまだ、掴めない。

 

昼過ぎに知り合いをそちらにやるから、何かあったらそいつらを頼るように、そう言われた。少し寂しい気もしたので

『私から寺田さんに連絡してもいいの?』

と尋ねると

「俺はいるようでいないようなもんだから」

と笑った。善い人なのか悪い人だったのかいまだにわからないけれど、あの人はあの人で生きている事だけは理解した。どっちでもよかった。私の目的は常に、死ぬことだけだ。

 

黒井という人が私を迎えに来て、当座の荷物だけを持って都内某所にあった部屋に通された。殺風景な部屋だったけれど、寺田さんは生活に必要な物があれば買ってやれと黒井に話しカードを預けていた様子だったので、冷蔵庫やベッドや布団、そういう物もいいのかと尋ねたら、いいよと言ってくれた。買いに行こうとしていたら、黒井が突然覆いかぶさってきた。

『やりたいの?』

と聞くと、ハツモノは食っておかなきゃ損でしょう、と言ったので、ああなるほど、私は売られるのだな、と思った。どっちでもよかった。

"ハツモノは 食っておかなきゃ 損でしょう"よく出来た川柳のようで笑っていたら何がおかしいのか聞かれたので、今後の展開が、と答えると、これ飲むとよくなるから、と錠剤を差し出された。

『これで死ねる?』

目を輝かせてきいたら、めちゃくちゃ死ねるよ、と笑われた。でも何もないところで、は、体が痛い。とりあえず生活必需品を用意してからにしましょう、そうしてペンギンのマークのある黄色い店に行き、色々を買って戻り、錠剤をむさぼってガンガンに交わった。黒井はどうだ死ねたろ?と自慢げにいった。私が死にたいと言ったのはそういう事じゃないけどね。

 

後で寺田さんから電話があったので、その話をしたら寺田さんは大層お怒りになっていて

 

「商品に物事を教える時には最後までしないのが普通なのに、あいつはそんな事をしたのか。ごめんね、嫌な思いをさせたね」

 

と謝ってくれて、黒井の姿は二度と見なかった。寺田さんが何のどんな位置でその仕事を回しているのかは知らなかったが、私は新宿の地下で働く事となった。ファッションヘルスだそうだ。ダブルワークは禁止?と聞いたら寺田さんは大笑いして、仕事の内容はダブルワークの、そのダブルの方に相当する物だからダブルだろうがトリプルだろうがしたい事をすればいい、お金を握れば死にたいなんて気持ちは失せるよ、と笑った。

 

そうだろうか。あの時代があって今があるけれど、お金があったら何でもOKとは思えないでいる。先立つものとしては必要だと思う。例えばケガや入院のあった時。私はあの時代に稼いだ金の全てを使い切った。あの生活を辞める時に、持ち越す事はなかった。金で買えるような物はいまだってそんなに必要だとは思わない。だって、金で買える程度の物だもの。私にとってはそのくらいの薄っぺらいものだ。それらが自分を彩るなんて感じた事はない。

 

寺田さんに現場に制服があるのかを尋ねたら、制服なんて物はないけど服が欲しいのかと聞かれたので、ほとんどを処分したしあるのはスーツが何着か、と話したら買いにいこう、と言ってくれた。その時は一緒につきあってくれて、私は寺田さん好みの着せ替え人形で、恐ろしく高級で、華やかな化け物が鏡に映った。部屋にテレビは買わなかったので、ついでに本屋に寄ってもらい、本を数冊買ってもらった。他に欲しい物はないかと尋ねられたが、これと言ってないので数日分のご飯代だけを貰い、酒に費やした。

世話になりっぱなしで何でお返しをすればいいのか解らなかったので、抱きますか?と聞いたらケタケタと笑いながら、生きていてくれるといいよ、と言われた。皆、無謀な夢を私に抱いた。

 

数日前に黒井が使った薬をお守り替わりに欲しいと言ってみると、寺田さんは自分の管轄にはない、という言い方をして、欲しいなら誰かに家のポストに届けさせるから、と言って、それは数日の間に玄関のポストから中に放り込まれた。

 

酒と薬と男とにまみれ、現実を振り返る時間がゆっくりと隙間を閉じていく。亮介は、幸せだっただろうか。離れた場所で私たちの子供と幸せに暮らしているだろうか。みゆちゃん、みゆちゃん、私の名前を呼ぶ声がいつでも耳について離れなかった。君がいたから僕は生きた。当の私は、生きる事の希望など、その果てに、捨てた。

キミの話-第三章 vol,3

警察に保護された私を迎えに来てくれたのは遠藤さんで「あんた…」とあきれ顔だったけれど私を怒ったり叱ったりしなかった。

『私多分死んじゃった方がいいよ…ごめんね』

遠藤さんは何にも言わなかった。

「そいえばさぁ、いつこっちの部屋、引き渡すって?」

亮介の親があちらの家で、最後に部屋にあがってきて話した時に

"あの部屋は10月には解約する"

と言っていた気がする。出来れば会いたくない。

 

帰りのタクシーの中

「じゃあさ、私手伝うからやる事やっちゃお。いるもの、段ボールに詰めよ。」

頼れる先輩だった。遠藤さんはテキパキと、これは持っていきな、これは持ってくとバレるな、と段ボールに詰め始めた。私がしろと言われた事はPCの中身の移し替えで遠藤さん曰く、これ以上亮介君のプライバシーを受け渡しちゃならん、彼はきっとそれは望まない、という事で、私は私で遊ばせている外付けのHDDを繋ぎ放題繋いで、どんどん吸い出し作業をした。

「あんたさ、仕事、どうする?」

あぁ…仕事。仕事か…。遠藤さんは少し立ち止まって

「うちに帰ってくるんなら私が社長に話するよ?それなりには、話してあるけど。本社の方もこれ以上はちょっと厳しいでしょ。それ以外にツテがあるんならそっちでもいい。とにかく、生きなさいよ」

生きる。生きるかぁ…。

『私、もう多分、戻れないよ?色が…見えてない。構築なんかはできても、色が見えてないの』

遠藤さんはちょっと怖い顔をして、何故そういう事を早く言わない?と言ったけれど、私も気づいたのはつい最近で、初めは山を見過ぎたからだ、夕日をみて瞬きをしなかったからだと思っていたけれど、緑から黄色に変わって黄色味が強く出てるなーって思ったらもう次には明るいか暗いかの区別しかつかなくなってた、と説明すると大きくため息だけをついた。今でもあまりに疲れると、白とクリームの区別がつかない、赤と紫の区別がつかない、そんな日があるけれどあの頃と比べたら断然マシだ。

 

「何してでも、とにかく生きてかなきゃね。さっさとやんな?初期化するからw」

遠藤さんは最高だった。でも、もうこれが終わって、ここを出て行ったら私は私を捨てるつもりだった。苺のアイスみたいに偽って生きていく。元々、私のようなきちんとした背景を持たない人間が誰かに愛されて幸せになろうという事が間違っていたのかもしれない。今までだって私をとりまいた環境が最高だ、なんて思った事はなかった。向こうの両親がいう通りに私は愛された子ではなかったし、傷つけられてなんぼ、そんな人生だった。なのにいつもヘラヘラと笑ってた。もう傷つけるのも、傷つくのも嫌だったんだ。誰かに傷つけられても、自分が傷つける側の人間でなければよい、そう願った。願った結果がこれだった。

 

誰かに幸せにして貰うだなんて考えた事もなかったし、そのせいでまともに恋愛も出来なかった。恋愛すると必ずその先に、背景を問われる。今回のような事になる前に退く事が一番だったのに、私はそれをしなかった。愛しているの言葉に甘えて、それを信じた。束の間の幸せだった。全部私が悪い。身の丈を無視した結果だ。あの人たちは間違っているけれど、あの人たちは正しい部分もある。

 

あんたみたいな人間が幸せになろうなんて百年早い、しかもその相手がうちの息子だなんておぞましい

 

正しいだろう。正しいと思う。私がいた事で、私の存在で、誰かを消した。生きる価値がない。

 

いつもよくしてくれる遠藤さんにも本心を言えなかった。生きていくという気持ちがもうない事、亮介がいなくなった事の原因としてその罪の重さに耐えられない事、妊娠までしている事、何より、こんな感情を普通の家庭で普通に育ってきた人に訴えてみたところでそれらが伝わるはずもない事。

 

手を休めた時に

『ねぇ…亮介、あれ…殺されたんだね』

と一言だけ告げたら、遠藤さんは私の顔を見ないまま、だろーね、と言った。

「あんたが、まだ何か聞いてない、わかってない事があるだけで、私はあんたがトイレにいってる間に本人から聞いた話の、そっちを信じてるから事故も自殺も初めからどっちも信じてない。」

『亮介、なんか言ったの?』

「んー…聞いたよ。あの目にも言葉にもいい加減さは見られなかった。彼が何か嘘をついて自分の気持ちを誤魔化したとしたんなら、向こうの親に対してだろうねー。亮介君にはあんたしかいなかったし、あんたしか見えてなかった。だから、こうなった。じゃあ誰がそうしたか。それはあんたじゃない。向こうだよ。」

と言った後に

「彼はね…僕はみゆちゃんと逃げて誰も知らない場所でいちから始めてもいい、周りは関係ないからみゆちゃんと仲の良いおじいちゃんとおばあちゃんになって、一緒の墓に入れるまで命をともにするつもり、その覚悟はできてる、僕に愛を教えてくれたのはみゆちゃんだからって言ったんだよ…」

 

言葉がでなかった。涙ばかりが出た。あれ程に狂おしい事はこの先もきっとない。もう戻れない。もうどこにも、戻れない。道が、途絶えた。鼻をすする音だけが部屋に響いた。

 

遠藤さんもこの結末に我慢ならなかったらしく

「これは?この本誰の?」

と三島を手に取った。亮介の、と答えたら、瞬間に

「こんなもん読んでるから死ぬんだよ、バカ」

とテラスに続く窓に投げつけた。剛速球で投げられた三島の角がガラスにヒットし、窓が割れた。遠藤さんは、三島が嫌いだった。愛すべき、彼女。

 

夏も終わりの明け方の、部屋にスゥスゥとした風が入り込む。窓の弁償は向こうの親にさせるがいい。どの道、玄関の欄間のガラスも段ボールが貼りつけられたままだ。寝苦しい昼間にPCから流れた優しい音楽も、記憶も、全て初期化された。ただの空っぽの箱になった。バカバカしい、なんの中身もない大学生たちからの寄せ書きは永遠に忘れないでおこう、と私の方の荷物に入れた。みゆちゃん同じの流すと怒るから、と笑ってた、まだ封もあけられていないCDも、亮介が持っていたMDも全部全部箱に入れた。思う存分、真面目でミニマムな暮らしをしていたという息子を堪能して欲しい。彼は真面目だから、ロックも聞かないし、ピアスもしてないし、貴金属なんかつけてないし、SM趣味なんかもっての他で…

 

「ちょっと!これレンタルじゃないの!?数すごいあるけど!!これいつから借り…あーーーー返却12日ってなってるよ!?しかもこれ……なにこれ…女子高生…わぁ…あ、熟女もある!」

『あぁそれwwwそれだよ、噂の!朝起きたら、眠らずにこすり倒してたっていう、あれww』

「置き土産で置いてくかぁ。家賃分くらい請求されるよwww」

『真面目な息子は幻想だった、で、悲鳴あげればいいんじゃない?』

「でもこれだと亮介君、誤解されそうだけどね、色々とw」

『あいつらがいう事なんて、どーせ、あの女の体の具合が宜しくなかった、その程度でしょwwいいよ、別にwwもう二度と会わないんなら、どう思われてもw』

 

遠藤さんは言った。

「でもね、いつかね、あんたが向こうの親に会わないでもいいように、彼はどうにかしてあんたの元にやって来る、オカルトとかそういう意味じゃなくて、あんたに対してだけ彼は誠実で、彼は永遠。あんたがダメになりそうな時は絶対あんたの事助けるだろうし、支えるだろうし、あんたがいないと彼の居場所がないんだよ。あんたら、そういう風に出来てるって思った。誰も知らないどこか遠い地でも、あんたら二人ならうまくやるわってあの時に想像したもんね。ああいう事って滅多にないよ。こいつらどうせだめになる、不安だわー、やめときゃいいのにってのはよくあっても。それくらい、亮介君の言葉には熱がこもってた。そういうもんなのかもね、運命って。彼は彼で、運命の人に出会って生涯を遂げた、それならそれで、良かったとは思わないけど…決められた何かってやつで。あんたはあんたで、一生を保障されてるよ。なんかあったら、彼が絶対、護ってくれる」

 

護ってくれなくてよかった。護ってくれないでも生きてて欲しかった。死ぬ事はない。別々の道で生きたとしても、どこかで生きているのであれば、それはそれで良かった。

 

『嘘、つけばよかったね。誰か好きな人が出来ました、だからあなたとはもう続けられません、正直あなたを重いと感じた事も数回はあったし、これ以上は無理です、ごめんなさいって』

「あんたの嘘を見抜けないようなバカじゃないでしょう、彼は。あんたよりも数倍、頭がきれるよ。」

『……ですよねー。三島、ゴミ箱へ捨てといて下さい』

「言われなくても、もう、そうしたよ!」

「…ですよねー。三島もたまには愛してあげて下さい」

『無理。私には無理。』

 

笑うような、泣くような、雨が降りそうで晴れているような、そんな朝に私たちは手を振った。荷物はいったん借りていた自分の部屋へ送り、自分の部屋からトランクルームを借りて、それから自分の部屋を解約、私は何も手元に残さなかった。バッグの中には亮介が最期にきいたMDウォークマンと亮介が飲み残した大量の薬と、音楽と、煙草。私はこの世の景色に手を振った。

 

遠藤さん、本当にどうもありがとう。心からの感謝を。

私の今の毎日には、あなたもいて、今日という日があります。本当にどうもありがとう。