聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第四章 vol,5

私たちの浜松生活はそう長くは続かなかった。いつも太陽は高く、洗濯物はカラカラに乾いて海辺の傍はとてもお気に入りだったけれど、あの年はその場所が問題となった。その頃私が頻繁に動かしていたのはmixiで、友達だけの括りを入れていたので限定公開だったけれど、確か翌年の3月8日辺りの朝の事である。それなりに周りから話題にされたので覚えている。

 

朝の支度をするのに一階へ行って脱衣所前の鏡を見ながら身支度をしている時の事だった。妙に後ろが気になる。脱衣所のすぐ後ろは浴室になっていて振り返れば浴室と壁についた鏡があるだけだ。鏡合わせになってしまうのが悪いのだろうか。あまり宜しくないとも聞くし…と思って浴室の中折れ戸を閉めた。扉の表面が真っ黒だった。水分で黴が繁殖…そのようなレベルではなく、真っ黒だった。穴のような黒。

 

真っ黒だ!また色が見えなくなったのだろうか!と思って焦った。その頃ちょうど自分で色々と作っていた頃なので、ここで色が見えなくなってくれると非常に困る。掌をみた。きちんと色があった。安心していると後ろがとても騒がしくなった。大勢が走っていくような風を感じて、気持ちがとてもザワザワした。

 

ザワザワしたけど気のせいだ。きっと以前の薬の後遺症だ。脳がやられたに違いない。そうして髪の毛を梳いたらその櫛通りが誰かの手触りで、耳元で

「みゆちゃん…」

と言われた。驚いて櫛を落とす。あんまりに驚いてその時の事を日記に書いた。

 

"後ろに黒い穴が開いていて大勢の人が走りぬけた感じがあり、騒がしくて、胸がザワザワした。その後亮介にも会った。何もなければいいけど" 2011年の事である。

 

3日後、いつもは砂浜に遊びに行くのに、その日に限って長女は気持ち悪いと訴え、地球が回ってる~と言うが早いか呟いて、キッチンに差し掛かる手前の床に吐瀉物をぶちまけた。地球は回っているものだし、逆に回転を止めると問題あるだろうが!そう思いながら、次に具合が悪くなったらこれにね、と洗面器にレジ袋をかぶせた物を手渡す。そうこうしていると昼が遅くなってしまい、昼はサンドイッチにして浜辺に出かけようと思っていたのにな…とひとり台所でチキンラーメンを茹でた。地震が来た。

 

"ねぇさん!めちゃ怖い!" "次もなんかあったら忘れずに書いて"

そう周りに言われたが、何となくが解ってもどうしろだとか、何があるよだとか、そういう詳細は解らないし、自身の持つ運だとしたら運がありすぎるし、勘だとしたら鋭すぎる。だから何かとそうして教えてくれたのはいつも亮介だっただろうと思う。あの頃を知っている友達は皆、あなたは亮介君がいる限り死なないと言ってくれたし、主人は主人で私が敏感に何かを感じ取ると私の助言を欲しがり、必ずそのように動いた。

 

でもこうした事は他人には、バカらしい、そんなもんは気のせいだと思って頂ける方が有難い。そうしてくれた方が二人の時間を踏み荒らされないで済む気がする。誰が何を言ったって変わらない、二人にしかわからない時間が、私達の間にはある。ただ私達二人は亮介の生前、抽象的な会話を好んだからか、何かを伝えるにもあまり言葉がいらなかった。それは本当に温度のあるやりとりで、亮介以外にもたまにそういう人がいる。言葉がいらない相手、という者が。

 

きっと何か別の方法でやりとりが出来るのではないのだろうかとも思う。人間の脳なんて使われていない部分の方が多い。"なんとなく解る・感じる" 虫の知らせなんかもそれの一種だろうと思う。

 

毎晩飛び回る海上ヘリの音に怯え、その一件で娘は大きく平常心を失くし、国民全員の安定も先も見えない時に、自営業などは特に大打撃をうけるだろうと読んで浜松を後にする事となった。日本列島が、国民が、恐怖に慄きこの先どうなっていくのだろうと心配になっている最中に、現場付近や関東圏をウロウロする気にもなれず、離れるとなると主人の実家方面しか思い浮かばず、最終的に主人の実家へ戻る事になってしまった。次女が産まれてもうすぐ1年になろうとする時の事だった。その二年後、次女が産まれてからまたも三年後、主人の実家に移ってから三女を授かる事となる。

 

三女を授かった時に出産予定日を聞いたら亮介の誕生日だった。ここでもまた、恐ろしさが先に立った。その日に生まれたら早くにも死んでしまうかもしれない、どうしようどうしよう、悩みに悩んだ。私はもうその頃37歳になっていたので、自然分娩も難しいのかもしれない。上の二人を自然分娩で産んだものの、それだってなかなかの無理をしての事だ。それまでを遡ればわかるけれど、もう子供は出来ないと言われていた。亮介の子がお腹に宿ってから何かが正常化されたのか、自然に授かれるようになったけれど、授かるのと産みだすのは別だ。その不安をずっと訴えていたけれど病院は問題ないと一切取り合ってくれず、ただ、妊娠糖尿の気もあるので計画分娩に入ろうと言っただけだった。亮介の誕生日とはずらせる事が可能となった。

 

病院の医師はバカみたいに朗らかでこちらの心配を全く受け付けず、本当に大丈夫なのだろうかと度々心配になり、主人に、やっぱり上の子たちを産んだ病院に預けたい、あの先生なら私の体の状況をよく知ってくれているので、と訴えたけれど、金もないし戻る事は出来ない、相手は医師だから心配しすぎの考えすぎだと言ってとりあってくれなかった。あの頃は不安で、亮介のつけていたブレスレットを自分の左手に留らせて、ずっと撫でていた気がする。予定していた分娩日の前日におかしな事があった。

 

全ての荷物をまとめて家を後にしようとしていた時に、商売をしていてこうした言い方をするとおかしな話なのだが、まだ全く名も売れていない頃の事、滅多にお客さんが来られる事はなかったのにその日に限ってカップルのお客さんが入ってこられた。こちらは病院の入り時間が決まっていたけれどそのために動けず、引き留めるようなその状況に、これはやっぱりやめておいた方がいいかもしれない…と思った。今でもよく覚えているけれど、カップルの、その男性客の腕には亮介の物と同じブランドのブレスレットがついていた。その二人は革のバングルを眺め、買おうかなー、でももうブレス持ってるしなー、でも欲しいねー、どうする?と言い合い、散々粘って結局買わずに出て行かれた。

 

遅れてしまった旨を病院に電話して、向こうの都合上、今日はもう入れそうにないとなったら断ろう、と思っていた。案の定、約束した時間を回ってしまっていたので、今日はもう来られないと思って夜の分の院内食の予約を取り消してしまったと言われたので、やっぱりやめます、と言おうとしていた時に後ろが少し騒がしくなって

 

"別の方が退院されるそうで、一食分余るそうですが、どうですか?"

 

と言われた。この時の事があってから、最終的な判断をギリギリで迫られたら答えはNOとしようと決めている。どれだけ欲しい席でも、どうやら空きが出たようです、と言われたら、それは悪魔の誘いだ。後日にします、ごめんなさい、そう答えるようになった。何事も欲張ってはいけない、という事なのかもしれない。

 

入院してトイレに行ったら、二つ並んだトイレの、選んだ側の便座が驚く程糞まみれで嫌な気分になり、隣に入ると今度は血まみれ。看護師を呼んでトイレが使えないと文句を言った。嫌な予感しかなかった。

 

次の日、嫌な予感は大的中し、そこにいた看護師が、子宮口が全開大で頭がそこに見えているのに膜が邪魔しているから破ってしまえば出てくるだろう、ともう一人の看護師と話していた。先生に確認をとった方がいいんじゃないか、と言い終えるまでに指で膜を弾いたらお腹の中で三女が一気に回転、足が下になってしまい胎盤が先に出てしまった。殺してやる!わが子になんかあったら殺してやるからな!そう思っていた。遅れて入ってきたバカみたいに朗らかだった医師はやっぱりただのバカだったらしく、壁に張り付いて何もできず

 

"自分は自然分娩専門だから"とその状況の中、震えあがって見ているだけだった。お前みたいなやつは、産婦人科医、やめちまえ。実際、この件があってからそうも待たずにそこは産婦人科を閉めてしまったが…。

 

私は、二人も殺すわけにいかないのである。お前らには解らない。お前らには。

 

頭の上で大丈夫だ頑張れという主人。主治医が何かを言おうとすると主人は一言、うるせぇお前は黙っとけ!出番なしである。邪魔でしかなかった。本気で邪魔だった。へその緒の代わりにあんたの首にたまたま紐でもひっかかればいいのに!そんな感じだ。

 

もう自分で腹を掻っ捌こうと思った。メス探して、メス。何か刃物を!殺すわけにはいかない。殺せないのだ。これ以上殺せない、頼む助かって、お願い助けて。全く関係ない先生が通りかかり、もう肘まで入れて探って出すと言い出して、やってくれ、頼むから助けてやってくれ、とお願いし、娘は重度の低酸素性虚血性脳症を背負いこの世に生まれて来た。皆がもうこの子はダメだ、と思っていた頃に、息をした。

 

息してます!救命医療班呼んで搬送します!

 

病院から病院に運ばれるってなんやねん!…だったが、とにかく主人に三女をお願いし、主人はあとについて別病院へ走った。ここにはお子さんがいないのでお母さんは三日たったら退院できます、大変でしたね、と分娩の記録を作成して頂いている時、変な汗が止まらなくなり目の縁はどんどん白んで、体が震え始めた。何かおかしい、何かが、おかしい。

 

耳の奥で亮介の声がしていた。

(みゆちゃん、深呼吸。深呼吸して。深呼吸)

呼吸が浅くなる。分娩は終わったのに、ラマーズ法をまださせられているかのようだった。

(みゆちゃん、大丈夫だから。息をして。ゆっくり)

その声があったから何とかなっていたようなものである。

 

病院の医院長がただ事ではない様子をききつけて入ってきた。コソコソと話す声が聞こえていた。

「お母さんの方、様子おかしくないか…?」

「何かあったらまた…検査回そう」

また…と言った。

 

医者ならばMRIやCTに回した時点で解っていたであろう事を責任逃れの為の

"~~の疑いあり"と記入して

「おかあさんねー、赤ちゃんもこっちにいないしお母さんも向こうの病院いこうかー」

と言われた。まるで、一緒の方が心配も少ないでしょ?と言わんばかりの言い方で。

 

"子宮破裂の疑いあり"

私の子宮は縦に20センチ近く、ザバッと破れていた。