聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

キミの話-第二章 vol,13

嫌な胸騒ぎしかしなかった。電話をしても電源が切れていた。何回も何回もかけてみるけど結局電源が入らなかった。遊び惚けている場合ではない。どう考えても様子がおかしい。ここ数日の様子、素行、それら全てがおかしい。反対されまくってもう面倒くさい、だから別れたい、ならそう言えばいいのだ。自分だけ、いなくなるような言い方をした。それがどういう意味なのか納得がいかなくて、しつこいくらいに何度も何度も鳴らした。父の家には寄っても寄らなくてもどっちでもいいと思っていた。寄ろうと決めて意気込んでいても、友達と騒ぐ方に必死で会わずに帰ったなんて事も何度もある。でも今回だけは…とにかく一度、父の家に身を預けて、自分の携帯も充電しないと何もできない。それに、妊娠しているのだ。あんまり無茶をすると体に悪い。久しぶりに会う友達もそこそこに父の家に向かった。

 

父の家につくと、玄関続きの台所の換気扇の下で父は煙草を吸っていた。

「ひさしぶり」と上がると、

「おう、なんや、急に~こっちに来るなんて珍しいやないか、友達おいてきたんか?」と言われた。

 

「今つきあってる彼氏の様子がちょっとなんか…おかしくて…メール、一通受け取ったんだけど、なんか普通じゃない感じなの…電話するんだけど繋がらないし、こっちの電池もなくなりそうなのよね…もう気になりすぎちゃって……遊んでる気分でもないし…一日泊めて」

「泊まるのは構わんけども…あんたの携帯、どこのや?docomoやったらええけど、ここ、auは電波悪いで~。」

「…auだわ、私の…わかった。じゃあ、あれだ、電池一杯になったら度々外に出る。ちょっとバタバタする、ごめん。」

「まぁそれは好きにしてくれたらええ。しかしなんでや?」

「なにが?」

「彼は精神的に弱かったりするんか?放っといたらあかんような…」

「今はちょっと事情が特別なのよ。。」

「そうか」

「うん…おとついあたりまでは…まだね、まだ。辛うじて普通だったの。明日のウルルンのゲスト、山口もえでしょ?12日のウルルン滞在記ってもえちゃん出るけど観たいでしょ?なんて話もしてたのに、昨日から連絡寄こさなくなったと思ったら今日変なメール入れてきたの…そっから電波届かない」

「明日のゲスト、山口もえなん」

「そぉ。好きなのよ、彼氏w」

「お父さん、代わりに録画しとこうか?」

「そーして、よろしく」

 

久しぶりに会う娘が、父の近況を伺うより先に彼氏の心配をしている状態は父にとってどんな気分だったんだろう。しかしこの時父は、何故かあまり驚きも、よその男に夢中な私を叱りもしなかった。

 

11日中は、結局電源が入らなかった。

 

翌12日、もう今日は東京に戻らないと明日からは出社だ。今日中に亮介と連絡が取れないと困る。ここから北上する、ここから南下する、私はちょうど、いい場所にいる。朝、歯を磨きながら鳴らしてみた。コールする!呼び出している。切れていた電源が入ってる!無事だと思った。めちゃくちゃ嬉しかった。靴をひっかけて、父に

 

「ごめん!電波繋がったから、ちょっと平和堂いってくる!平和堂の駐車場にいるから、なんかあったら呼びに来るなり、電話するなり、して」

 

と残して平和堂の駐車場に移動した。滋賀県では有名なスーパーだ。街灯の周りをグルグルグルグル回りながら何度か電話を鳴らした。出ない。メールにする。

--よかった繋がった。メールちょうだい!

20分待った。30分待った。

--もう。なんで返事しないの?浮気しちゃうよ?いいの?

と脅しもかけてみた。

 

一度家に戻って待ってみたがそれでも返事がなかった。なかったので、午後からは電話攻撃だ。何度かならした。何度もならした。通話ボタンが押される。繋がる。無言だ。私も無言になる。

 

亮介ではない声でボソボソと「…もしもし」と言う。

 

『…もしもし?』聞き返す。

「…もしもし?」

『あの…亮介くんの携帯ではないですか?』

「そうですけど。誰ですか?」

 

誰ですか?知らない誰かが亮介の電話に出ておいて、誰ですか?はない。お前こそ誰なんだよ。

 

『…大学の…友達です。亮介くんは?』

私は嘘をついた。

「お兄ちゃん、ちょっと事故に会っちゃって」

 

は??事故ってなんだ?お兄ちゃんと呼んだ。弟か。

『話、できますか?』

「…ここにはいないので」

『じゃあどこにいるんですか?』

「…もしかして、あなた、兄ちゃんの彼女ですか?」

『違いますけど。なんでですか?』

「もし兄ちゃんの彼女からだったら、うちの親が切れって言ってて。彼女だったら何も教えるなって」

こいつ…なんで私の事を彼女だとわからないんだろう。しかし、さすが高校生だ。頼んでないのにペラペラペラペラ、バカはなんでも話す。でも逆に、それがとても、気になった。確実に動揺してる。動揺してるから、こんなに話してしまうのだ。

 

名前が表示されるはずだ、と思った時にきづいた。亮介は、頼みもしないのにいつも、事細かに私に説明しようとした。いつだってそうだった。こっちが、もおいいよ、わかったわかった、そういうまで説明する。なのに電源を毎回落とす意味は一切説明しなかった。説明しなかったというところに意味があるのだ。亮介が電源を切っていた意味。親は私なら無視しろといった、だとすると、きっと私の名前は亮介の手で先に携帯から消されているはずだ。もしくは…私の名前を知らないか。後者は考えづらかった。

 

消されているから番号は表示されても誰からなのかはわからない。だから友達でも誰でもない人からかもしれないと思い、出なかった。弟が気をつけるべきなのは、彼女の私から、それだけだった。それさえでなければ、後は出ようが出まいがどっちでも。

 

『亮介君には大学のゼミのレポート頼まれてて、家に持ってきたんだけど、いないみたいだから電話しました。これ、家において帰っていいですか?いつ東京に戻られますか?』

 

今、事故だといったよな…歩けるの?

 

「兄ちゃん多分このまま大学やめる事になると思います」

『何でですか?入院かなにかする程大きい事故ですか?』

「昨日も何度か今夜が山だって言われました。」

うそ。うそでしょ。こいつ何言ってんの?こいつ何言ってんの?お前何言ってんの?殴ってやろうか?

『あんた、なに言ってんの?』

「……?」

『亮介出しなさいよ。早く。あんたほんと、何平気そうに…何言ってんの?自分の言ってる事わかってんの?何があったのよ』

勢いに任せて言ったら、あ、あ…と向こうが動揺して電話が切れた。何回も連絡したけど、そこから留守電に切り替わるようになった。

 

亮介があちらに戻ってから一度だけお願い事をしてきた事があった。父に誘われてプールに行く事になったので水着を送ってくれないか、と。その時に送り状をかく為に住所を聞いていたのを思い出した。控えが財布の中にある。

 

留守電になったので、その住所を読み上げて、場所は存じ上げているので今から伺います、と電話を切った。実はあの夏、亮介は親とプールになんか行っていなかった。おかしいと思ったのだ。それならその時に薬も頼むはずなのに、先に、それだけでいいから、と言った。何故薬はいらないのか、を言わなかった。

 

ほんの少しの事だ。普段なら見落とすようなほんの少しの。

よく知っている人が納得のいかない態度をする時、それはとても違和感がある。だからずっと、何か違う、どこかおかしい、戻ってから全てがおかしい、と感じていたのだ。誠実な人が何かを隠そうとする、その隠そうとする部分に意味があるのだ、気づいて欲しい何かをそこに、包んでる。

 

私の言葉をきいて、折り返しすぐにかかってきた。病院の名前を告げられた。でももう兄ちゃんは多分助からないよ?と言った。まだ子供のような声が、きっともう助からないよ?と言ったのだ。

 

あの数日間は今でも、本当にぼんやりした記憶のままで、ぼんやりしているくせにやけに生々しく、それはどこか…夢をみて目が覚めてわーっと泣いて、とにかく怖かった辛かった、は覚えているのに、輪郭がぼんやりしすぎていて内容がよくつかめない、それなのに物凄く悲しくて涙が止まらないままだ…と言う時のその感じによく似ている。あまりはっきりとしない割に、何故かところどころが物凄く鮮明で…例えば急いで飛び乗った新幹線、隣の大学生が食べていたお弁当の卵焼きがぺらりとしてまっ黄色だったな、とか、きっとどの記憶も均一に記憶されているはずだけど、一部を隠してしまおうとしている力が働いている感じがある。今でも、ぼんやりとしているのだ。

 

確か一度父宅に戻り大急ぎで荷物をまとめて、彼氏が事故に遭ったらしい、行かなきゃと言ったら、駅まで送ってやると父が言ってくれてお言葉に甘えた。みどりの窓口で新幹線の切符を買うのに、なぜこんな事になっているのか意味が解らなくて、うるせぇ私はここに行きたいんだ何席でもいいさっさと用意しろと震えながら怒鳴り散らしたこと、新幹線にのったら隣には帰省する予定の大学生さんが座っており、どこまで行くのか尋ねたら、同じ場所ではなかったものの割と近そうだったので、教えられた病院を知っているかと尋ねた。自分の祖母が昔、その病院の近所で暮らしていたのでなんとなくわかると言ってくれ、駅からその病院まで歩いていけるのか、それともタクシーを使うべきか、の色々を尋ねた。どうしたのだ、と聞かれたので答えている内に怖くなり、口にして夢ではない事に気づき、泣いてしまってどうにもこうにもならなくなってしまった事…色々があったのに、ぼんやりと流れて。あの時あの大学生さん、慰めてくれて、力になってくれて、本当にどうもありがとうございました。

 

駅についたけれど、どうしたらいいのかわからなくなった。

行かなきゃ、でも行ってどうするの。本当だったらどうするの。たちの悪い冗談で終わらなくなってしまったらどうするの。引き返すならいまだ。冗談でした、そんな風に終わればいい、終わればいいな、知らない街の初めて降りる駅でひとり、じぃっと考えていた。

 

全く似ても似つかない子供みたいなひょろりとした何の頼りがいもなさそうな男の子が「あんた彼女?ほんとに来たんだ。病院こっち」

と案内してくれた。

 

病院について部屋に通されて、目に映ったものを理解しようと思ったけれど、全く意味が解らずで理解も追い付かず、それはきっと一生理解できる類のものではなく、その中にじっとりと冷たい視線があり、私をみて言った。

 

『とうとうここにまで、人殺しが来た』と。