聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

日々の彩り

SNSを眺めていると日常をあまり楽しめていない方が多いらしい。匿名の、ある程度特定が困難な場所ではないと吐き出せない、というのもそれらが目に付く原因のひとつにあるのだろうが、言えばスッキリした!等と言う方はほんの一握りでいつまでもそれについて考えている、もしくは元来そのような、心の向きがもともとそういったタイプの方である、といった事が伺える。

 

私が今恵まれている為にそう見えるのかもしれないが、いまだ炭坑で従事している、そんな時代でもあるまいし、それらを考えると今のこの時は自由に満ち溢れ、なんだってできるではないか、と思ってしまう。一重に、そこは大きな差かもしれないな、と最近、特によく思う事がある。様々を掘り下げるのを苦手とする一定数がいる、という事。

 

それなりに苦労をすると工夫を必要とする生活となる。今より少しはマシであろう、マシであるように努めるんだから…そう思いながら、工夫を施す。苦労をすると知恵を必要とする。

 

「これがこうなればいいのではないか…」

「こうだとどうだろう」

「これにこれは美味しいかな…?」

 

自慢ではないが苦労のレベルが私の場合、他人に話すと常軌を逸しているらしく、人生という時に翻弄され始めた頃から落ち着くまでの約30年以上を人に語ると、正直ひいた!~生きて出会えて良かった、まで、色々なご感想を頂く。中途半端な苦労をしなかった事が功を奏している、とも言える。

 

私の場合、若い頃に入院した場合でも命の是非を問われる様な現場にさえ出入りしたのは福祉関係の人間だけだったし、家族が見舞いに来た事もない。万が一の場合を尋ねられても「もし、命が途切れた場合には、どうすればいいのですか?私はその後の事は一切関与できない形となりますが、その…近所のゴミ捨て場から運ばれるゴミと同じような扱いになるのですか?」と尋ね、福祉の人を泣かしたりもした。若い女性からそのような言葉が出る事が不憫だったのだろう。今はとても良い時代だ。高額医療費はその場で差し引きして計算して貰え、それ以上を持っていかれる事はない。昔は、一度納入してからの差し引きでの返金となった為、初めからその額を持っていないと医療にもかかれない時代だったし、現実にそういった方は沢山おいでだった。

 

復帰をしたらすぐにでも働かなければ住む家を追われる。通院費もかかり、生きるにはそれなりにお金がかかる。それなのに通院するとなると仕事を休む羽目になり、今ほども働きやすく恵まれている職場などはなかったし、どれだけブラックだろうが訴えて出る場所もなく訴えたところで労基は動かない。ハッキリ言って悩む暇がないのである。死にたくなければ生きる事、生きるとなったら何とかしてでも食いつないで行く事、これしか選択肢は残されていない。他人を羨んで指を咥えていてもお腹は満たされないのである。

 

働く、工夫する、知恵をつける、夢を夢で終わらせない為には血を吐くような努力もする、なんだってする、誰にどう思われようが構わない、私は絶対にこのままでは終わらない、そう思って生きてきた。愚痴が出てきてしまう時や誰かへの羨ましさで浅ましくなってしまう時は常に(人生は平等ではなく、スタートラインから違う)というところへ目を向けるようになった。そもそもスタートが違うのである。そんな物と比べる意味よ。

 

「人には定められたものがあり、それは仕方のない事である」と諦めと負けを認めた事が良かったのかもしれない。自分が手に入れたい物は自分の望むような物ではなかったとしてもそれを愛せる人間でいれば良い、と感じ始めていたし、手に入った場合、いつか自分の求めていた物ではなかったと思わないとは限らない。そちらの方が余程も怖い。あんなに望んだ物が実際はこんな物だった、と感じた時、自分はその方面でしか頑張らなかったのだからそれ以外が出来ないではないか!という危機感に苛まれた。

 

そこで"身の丈"という物を知った。それは諦めではなく、等身大の自分の良いところと悪いところを考えどちらも素直に受け止める行為であったように思う。自分にできる事、出来ない事。無力さを知る、という事も時には必要で、何であいつが、となる場合は知らずに過信してしまっている部分が多い。自分こそ認められるべきだ、こんなに努力をしてるのに、それもまた過信のひとつである。努力が必ず実を結ぶとは限らない。

そう自分で感づけるにはそれらを重ねて何十年もたって初めて。ある種それらは青春やストレスに似ている。どちらも自分ではすぐには気づけない場所にある。あー私いま青春してるわぁ、なんて言えるのは青春を終えて随分時間がたっている人か、それともそう思いたいかのどちらかの人しかいない。ストレスもまた、他人に言われて初めて気づくのがストレスであり、自分でストレス溜まってるわぁと言える場合は溜まっていない。努力はそれらに似て、何かに対して努力をしたからと言ってすぐにその効果があるかと問われると、時が、足らないのである。

 

それが解り、いまある物を愛せないで一体何を愛するんだ、という事に気づいた時に初めて自分の浅ましさも認め、素直になったような気がする。

 

負けずにいようと思う事は誰かより上である、という事ではなく、自分の浅ましさに負けない、自分自身に負けない、どんな人生であろうが私は胸を張るし、恥ずるべき行為をしない事だ、どの世界に置かれても手抜きはしない、私の道は私しか生きられないんだから、そう思うようになってから、初めて人の優しさも理解できるようになったと思う。

 

「わかるわかるって、いったい何がわかんだよ。困窮した事もねぇくせに。お前のように誰かの脛かじって甘えて生きてるやつにこっちの辛さなんかわかるわけねーだろ、バカが」等と平気で言ってしまう、浅ましい時代もあった、それ程に"私!これだけ!痛いんです!(両方の意味で痛々しいw)"を猛アピールした事もあった。

 

でも、どっかで知っていた。自分に負けている、という事を。

周りの関係ない人間に幾ら辛さを訴えたところで何も変わっていかず、毎日毎日、ああこんな人生早く終わってくれねーかな…なんてぼんやりと考えて、そしてまた朝が来る、そんな頃は全くよい未来なんて想像もできなかったし、しかしひとついえる事はとても時間の無駄だった、という事。

 

悩む事が無駄なんじゃない。悩んだ時に打開策や良くしていこうという方針の打ち立てまでもに拒否をして、いっぱしに"悩んでいる"と思っているだけでそれは悩みとは呼ばない、ただのうまくいかない事に対する面白みのなさに対する愚痴だ!と気づくまでに、過ごした長い時間が無駄だった。

 

人とは下らない言い合いをして勝った負けたとするよりも笑顔で先の事を話している方が絶対的に楽しいんだし、本気で心配してくれているのであればそれはそれで嬉しいが人は自分には成り代われないのでその言葉が上辺だけの物だったとしても、今は今しかないのだから、それを信じて楽しめばよいではないか、何かしら工夫をする事を忘れるな、そう思いながら毎日を歩むように言い聞かせる努力をした。でも、それらを人に話すと、様々な問題で私なら首吊って死んでるわ…と言われるばかりだった事にも、少し驚いている。経験と想像は大きく違うので、その立場に置かれると意外にあっさりした物で、死にたくない、が勝ってしまう。話している方は笑顔なのに、聞いてる方は涙するのを見て、そうか、私のは客観的にみても幸せとは言い難かったんだな、と漠然と、思う。

 

工夫はいつでも大切で、工夫する、というのは思考を止めない、という事に近いと思う。例えば本を読んでその本がとても面白かった時、面白かったー!と表現する人が殆どだが、後づけに載っている参考文献までをも読む人は少ない。余程興味がないと。

 

でも。

思考をそこでとめてしまうとチャンスはそこまで。が、少しだけ興味があるのでそちらも、となると思わぬチャンスに出くわす事もある。なんせ頼んでいないのに、その分野では他者よりも知恵を持つ事になる。そうして専門分野への道が開けていく。待っていたって好きな物なんて降ってこない。面白く生きるかどうかなんて、個人の匙加減一つであり、こちらもまた、そうして生きているだけで、他人から見て、頼んでいないのに(面白みのある人)として位置づけられる。面白みがあるかどうかは解らないが、それはとても味のある、だとか、魅力のある、となる。

 

どんな小さな事でもいいので、何かひとつを深く掘りさげてみる事だと思う。なぜ指は曲がるのだろうを考えると、指が曲がるのは関節がある為でそれはどのように曲がるのか、が解れば、ケガをした時の絆創膏の貼り方のひとつも変わってくる。良い貼り方を施せれば、それだけで出来た人、である。工夫などというのはそうした小さな物で、出来た人と褒められれば嬉しいし、それは自信にもなる。私は他の事は何も出来ないけれど、絆創膏を貼らせるとうまいのよ!と。何かを突き抜けて出来る者が専門分野では求められ、その世界で認められるのだから、やらない手はない。

 

これはどうしてなんだろう、あれはどうしてなんだろう、そうして工夫をする為に知恵を持ち、時が来たら、どうして私は悩んでいるのだろう、と思えた時、考えられた時、それは自身に負けなかった、という意味を持つのだと思う。それらの工夫や知恵が、日々を彩っていく。

 

少しでも、明るい未来をつかむために。