聴こえてくるのは、雨の音。

ある意味、避暑地(自分だけ)

白いクリスマス

世の中はクリスマスシーズンとなり、夏よりは一段と日が暮れるのも早く、乗り込んだ車のフロントガラスは外気との温度差にすぐに曇って、信号待ちで止まるブレーキランプも淡い彩りで、まるでイルミネーションのようだった。

 

この町は田舎のために早々に閉めてしまう店も多く、ネオンが少ない事で空が広く、暗い。色々をこなした後に買い物に行くにも少し遠くまで行かないとーー。それでも、主婦となった今では、一人の空間はなかなか手に入る物ではないのでほっとする時間でもある。喫茶店が数える程しかなくとも、コンビニはおいしい淹れたての珈琲を提供してくれる様になって、私のような田舎者には大助かりである。

 

夕飯の買い物を終えてから、少しだけ百円ショップを覗く。よく判らないノーブランドの独自展開のその店は商店としても同時に賄われているらしく、それなりに人気がある。……のだが。

店内でかかる音楽の趣味が、誰の趣味なんだろう…と思わせる事が多く、妙に懐かしい曲がよくかかる。まぁ、一言でいうと「古い」のだ。80・90年代のJ-popの日もあれば、急にどうした!と思うようなHip-hopを轟かせている日もある。

 

不思議な印象なので立ち寄る度に確認をするのだけれど、選曲はその日のスタッフに寄るものだろうと理解する。そしてその日は、いつもの古い選曲であった。あれやこれやを手に取って眺めていると聞いた事のあるジャーンジャーン ジャーンジャーン テレレレレレレレレー のスローテンポの曲が流れ始めた。

 

ああ、懐かしい。これはジュンスカの白いクリスマスが来るはずだ!

思った通り、私の中のイントロドン、正解!

 


白いクリスマス JUN SKY WALKERS

 

この曲が出た当時私はまだ中学生で、家庭環境があまり良いと言えるような状態ではなく、それでも何故か金と自由だけはあり、私が欲しいものはそんな物ではない、絶対的な愛だ!等と感じている寂しい子供であった頃。

 

確か初回限定版で予約者だけしか購入出来ず、小さい8センチサイズのCDには似つかわしくない白いパッケージに、三つ折りの12センチサイズの特別版だったように思う。あまりお行儀が良いとはされなかった友達同士で私の家に集ってバリバリとお菓子を食べながら

 

『次の!ジュンスカあれだって!予約者だけだってー!』

 

なんて言っていたように思う。あの町も相当な田舎で、冬には雪がよく降る地域であり、商店街には一軒のみ、黄色い外観に仰々しいポスターの貼られたあの店(その多くはテイチクレコードで主に演歌)に自転車を二人乗りして予約に行くかどうか、しかし果たしてこんな田舎町に卸してくれるのであろうか、等を話し合ったりもした。

 

予約から発売日までを楽しみにもしていたが、その間、友達の言う(こんな田舎町に卸してくれると思う?)という言葉が気になっていたので、近隣の友達ではなく、誰かのライブで仲良くなった都市と呼ぶのに近い場所に暮らす友達に電話をかけ、お金を振り込んでおくので二枚程予約してくれないかどうかを頼んだ。実際に近所の店舗で頼んだ物が届けられると全部で三枚になってしまう計算になるが、その時はその時。学校やたまり場で顔を合わせる誰かしらが欲しがるだろう、と思っていたので、お願いしておいた。

 

11月21日が発売日で、何故そこまで私の中でその記憶が鮮明なのかというと、その21日はテスト最終日だったのである。何を隠そう、私は色々な事情からほぼ学校へは通っていなかった。が、テストだけはきちんと出るという約束と、約300人中10番以内を必ずキープするという教師との約束で、それは公認の状態であった。今でこそ、親はきちんと親らしくすべきで子は子らしくすべき、なんていう風潮があるが、昭和の時代はかなりいい加減な物で、私たちの時代こそ愛に飢えた子も多く、大人も子供も今では話にならないようなどうしようもない人間性の目立った時代でもあった。

 

テストの結果は必ず、廊下に張り出される。何組の誰々は何位だった、等がすぐに見て取れてプライバシー等はほぼなく、好きな人が何位だっただの、嫌いなあいつはやっぱり頭が宜しくない、だのと言いあった。そのテストの後、何時に店に取りに行くか、を、別のクラスだった友達と話し合い、家に呼びに来てよ、とサヨナラした。

 

11月も暮れその頃には既に雪も舞っており、二人乗りの自転車で走る道には、もう水浸しになった雪がしゃりしゃりと溶けかけて、金属製の溝蓋なんかに乗り上げると滑ってしまうので途中で降りたり、また乗ったりを繰り返し。

学校から指定されているロングコートは自転車に乗るには適しておらず、上から落ちてきた雪が紺色のそのコートを黒く染めあげた。もう殆ど見た目も金色の毛先も茶色く滲んで、後日その話を先輩にしたら、言ってくれりゃ乗せてってやったのに、と言われ、友達にそれを伝えたら

「え、怖い。あの先輩とやり取りあんの?あの人、年少(少年院)いってたでしょ」

なんて言っていた。実際にそうだったのかどうなのかは聞いた事がなかったけれど、優しいけれど怒らせると怖い、そんな先輩達もいるような中で青春を過ごした。

 

店について雪を払い、二人とも濡れネズミみたいになって

「すみません、予約しておいた今日発売のCD受け取りに来たんですけどぉ」

と話しかけると店の人は帳簿を観ながら、ほんとだね今日発売だね、と言った。その間友達は寒い寒いと店の真ん中にあるストーブにあたっており、私はCDを観て回ったりした。店の人が顔をあげて言う。

「今日、この雪のせいか、まだ入荷のトラック来てないんだよね。お金貰ってる?」

友達は、はあ?え、夕方ですけど…今日来るんですか?トラック?と投げかけ、店の人はまた帳簿を確認しながら顔をあげず

「あ、お金貰ってないね。良かった。今日はもう来ないよ」と答えた。

友達は雪の中来たのに!とキィキィ怒っていたし、私はもういいよ帰ろ、と促して店を出た。発売日から二日後くらいに頼んでおいた友達からの包まれた二枚のCDがポストに届き、その一枚を待ちに待っていた友達に渡し、それから約一週間後に店から電話があったのでお金も納入していないしそのままお断りした。

 

今になって思う事は、何も信じていないからこそあの時、功を奏したが、物流や世の中のシステムをきちんと理解できなかった頃は何でも疑ってかかっていた、という事で、何もかも信じられない、と言えるのは、時に無知も入るが若さであったのだろうと思う。どんな田舎でも発注する人間がいれば、それは遅れても届けられるという事。

多くを信じ、そして少しだけ、疑う事。これは良い教訓となった。

 

音楽というのは凄い。一気にその瞬間に立ち返らせてくれる。

 

私はもう25年もあの街に帰っておらず、そのまままた26年目を迎える。母の顔も同じだけ見ていない。少し前にFBでその頃の友達の中の一人に見つけられ、話をする機会があった。たまたまその一緒にCDを買いに行った友人の話になり、おぉ!元気なの?あの子。まだ街にいる?と聞いたら、もう十年以上も前に亡くなったと教えてくれた。葬儀は出た、とその友人は言っていたが、私が聞いたら悲しむだろうという事と、何より今どこで何をしているかがその時解らなかった為伝えられないままだった、との事だった。

 

私はその生を、少しも疑ったりしなかった。

いつまでも人は生きるのだという漠然とした物が死を、憧れに近く渇望させたし、それがないと生きる意味にも転じないとさえ思っていた。でも、人はいつか死ぬ。

有限である事を忘れずに。思い出はいつまでも美しい。そして私は家に帰って、いつもの通り、ご飯の支度や娘たちの世話に勤しむだろう。毎日を信じながら、少しだけ疑って。